松岡正剛著「外は良寛」 |
今朝読み終えました。静かで深い感慨がありました。
写真は、読み終えて、朝日が当たっている本です。
このところ毎朝、
父ちゃんを送り出した8時ごろから
約一時間くらい
この本を読むことに没頭しました。
既に一度読み終えているので
二度目の読みに入ってます。
私は幼児期から音楽の英才教育を受けたため、
音を聞くということに
とても敏感になってしまいました。
今でも音程の悪い歌を聴くと
なんだか居心地が悪いです。
だから良寛の漢詩を読んで湧いたイメージは
どうしても
見えるというより
聞えるというふうな感覚でした。
静まりかえった庵のなかで
遠くにながれる滝の音や
木の葉のさざめきを聞いている良寛や
冬の囲炉裏の炭が灰になっていく音を聞いている良寛も
見る・という瞬間の固定ではなく、
絶えず流れる気配のなかで彼が
耳を澄まして自分をみつめていること即ち
聞いているような錯覚がありました。
松岡氏が、そのことも含めて
明確に詳細に分析されており、
ああ、やはり
良寛は聞いてたのだと
確信しました。
どうして自分が良寛に嵌まってしまったのか
思い出せませんが、
何かの時
『今日 食を乞うて驟雨に逢い
暫時 回避す 古祠の中
笑う可(べ)し 一瓶と一鉢と
生涯 瀟洒たり 破家の風』
の漢詩を読み
胸倉をつかまれたような感じがしました。
ちょうど
その頃の私は、
少し孤独と自己憐憫のなかに
いたかもしれません。
自嘲的な自分がいたと思います。
若い頃まず、もう、
いてもたってもいられないくらい
感動し胸ゆすぶられたのは、
賢治です。、
美しいことばと
その表現のダイナミズムに
感嘆し、また、
彼の物理や宇宙観そして
倫理観の底に流れる絶望感、そして
放浪する魂に
救われました。
今でもそうです。
三十代後半から
四十代は
山頭火の日記と俳句に
癒されました。
良寛はいつごろからですかねえ・・?
10数年以上も前だと思いますが
寺泊に蟹を買いに行ったとき
出雲崎の良寛記念館で始めて
良寛の写経の字を見ました。
こんなに美しい字を見たことがないと
おもいました。
かな釘流とでもいうのか
字の骨格だけというのか
属性を削ぎ落として
自我や情念が捨てられた
字だけの文字”
その集中の度合いが
度を越したものであろうこと
字から出るオーラーに
ほんとうに息をこらして見入りました。
それから
今度は一人旅で
良寛を訪ねて
長岡へ行き、
当時長岡駅から出ている良寛のツァーに参加しました。
ツァーといっても小型のマイクロバスで
10人足らずのお客しかいなかったと思います。
そのとき始めて
五合庵を見ることができました。
ほんとうに狭い小さな祠で、
でもそれは新しく立て替えられたものでしたから
当時とは忍び様もないものでしたが。
なぜこんなにも自分が良寛に惹かれるのか。
今回この本を読んで
少し分った気がします。
子供の頃から
ズーッと背中にはりついていた
私自身の疎外感や
歳を経るに従い
いよいよ深くなっていった孤独や孤立の空孔
そしてこの世と自分のハザマを、
出入りしては、さまよい、
どうしたらいいのか
どーしようもない自分。
賢治を発見した心の震え
逃げて解放されようと
山頭火にたくした、安寧。
そして
さらになお
捨てて、すてて
解き放たれていく良寛。
自我が分解され粒子になって飛んでいく。
そういう瞬間があの
良寛が世界を相対化しながら聞いている瞬間で
私自身も自我が溶解していく。
ドロドロと有機物のまつわりついた「書」やアートばかりを
見てきた私にとって、
この乾湿は救いでした。
自分でも賢治はあんなに好きなのに
同郷の石川啄木には
全く自分が反応しないのは
なぜだろうと、思っていましたが
たぶん
啄木の湿度にたいして
自分が動かないのだろうと
思います。
松岡正剛氏のこの本
朝一番の頭が澄み切っているときに
少しずつ
大切に大切に
読み返しました。
・・・・○・・・・・
淡雪の中にたちわたる三千大千世界(みちあふち)
またその中にあわ雪ぞ降る 良寛
眼前の山川草木はその淡雪の乱舞にすっぽりと包まれていて
どんな形の木々があろうと、雪はその動きを変えようとしない。
良寛はその舞い続ける淡雪という大世界の中の小世界の
そのまた小世界の片隅にいます。
そこで良寛に名状しがたい感慨が押し寄せてくる。
あらゆるものが融通無碍に溶け合って、
なにもかもが三千大千世界の雪の裡にある・・・。
以上本より抜粋
・・・○・・・
今朝、最後の章を読み終えて
感動というより
鎮められた
ふかい感慨のなか
しばらくの沈黙に自分が
制されました。