空気なんかよむものかッ! |
内田百聞短編集の文庫本を買って読みはじめたが、
読むうちに
なんだか薄気味悪く、恐ろしくなって
やめてしまった。
一昨年亡くなった母は百聞が大好きで
本棚は百閒だらけであった。
もう頭のコントロールがはずれた母の最晩年は、
過剰な心配性と取り越し苦労という強迫神経症が
露骨に顔をだして、
わたしをはじめ家人を困らせたが、
読み始めた時に不意に沸いてきた私の恐怖感とが
母の中にあった脅迫神経症に
符合すると
直ぐ理解した。
母は過剰な心配性でありながら
その心配と言う不安のなかに
私や弟を連れ込もうとして
私達を無意識に脅して、
心理支配したと考えます。
母だけでなく
ネガティヴな感情に生きる人は
そういう自分の不安の中に
他人を連れ込んで、仲間作りをし、
安心しようとする。
母親から脅されているなーと
私が気が付いたのは
10年前くらいからで、
それまでは自分の中に根拠も無く経ち起きてる不安に
ほんとうに辛い思いをしました。
気が付いてからは
コレは
私の中に刷り込まれた母の恐怖心で
私にはかかわりの無いことだと思うようにしたが
その断片はイマダに体の中に残っていて
フラッシュ・バックしてくる。
先日、ジョギングの途中で近所のおばあさんに会ったが
そのおばあさんは、私の姿を見たとたんに、目をそむけ、
近くなったら、言葉をかけてきた。
目をそむけた瞬間ちょっと嫌な気分になったが
そのあと、ああーコレは
私が問題ではなく、
彼女自身の内面の問題だろう・・・と
気づき、
さっと嫌な気分を投げ捨てた。
以前のわたしなら、
相手の顔色を伺い
すぐ自分の不備と結びつけて
あいての心の中に深い入りし
落ち込んだりしたが、
いまは、
それも他人の内面でおきたその人自身の問題である・・と
突き放す。
話がちょっと飛躍しますが、
人間関係のなかで起きるさまざまな
違和や不安は
こんなもの
いらないと
蹴っ飛ばすに限ります。
そんなもの
受け取ったり
引き受けても
なーんの益も持たしません。
またそういうことを欲するひととは
付き合いません。
日本人はとかく
空気をよむとか
ほのめかすとか
察するとか
なんだかわけにわからないユウレイのような
対人テクヌニックを他者に
要求しますが、
物事は、きちんと伝えたり
言葉にして明確にしないと
伝わりませんし、
言語化すえることで
責任をとるのですが。
言わなきゃーわからないし、
空気なんか
読めるものでもない。
そういうサーカスのような人間関係は
とても危ういです。
そういうことに振り回されて
大切な人生や時間を浪費したくないと
私は思います。
また、物事はすべてロジックですから
原因と結果があって
自分がなにか不備をしでかしたら
ちゃんと結果に出てきますから
そのとき対応するなり
修正するなりすればいいんです。
まあ
わたしも長い間、
得体のしれない
日本的人間関係に悩まされきたもんだと
おもいます。
以前のように自分に結びつけず
放り投げて突き放します。
私の不安も親からバトンされ支配されたもので
私が原因ではありません。
考えてみれば
内田百聞も、
そういう風に
薄気味悪い世界に読者を引きこもうと
画策しながら短編を書いたもかもしれないです。
そこにまんまと嵌まる読者をみて
ニンマリとしていたかもナアーと
思います。
人をケムに巻く天才だったかもしれませんから・・・笑い!
他者の心に忍び込む
そういう人間達とは
オサラバです。
ヤレヤレ・・・・。
なんですが、口をつぐむのに慣れてしまった私の体は、悲しいかな、言葉を発してもなかなか伝わるメッセージになりませぬ。
モゾモゾモゴモゴ自分でも何言ってんだか分からない迷路に入ってしまいます。あーあ説明下手だぁーと嘆く事度々。相手の方も「?」で、なにやらいっぱい広げて慌てて片付けて帰る様な会話になる事しばしばです。
自分の気持ちがはっきりしてたら、伝えたい事もはっきり言えるはずなのに、時には気持ちが行方不明に、時にはストレートに言えなくて言葉が迷子に、いっぱい失敗してます。
あれこれやってみて、これは練習やなぁ〜と思ったり、また必要も無い場に出かけてたんかなぁ〜と、焦った挙げ句落ち込む気持ちをなだめています。
自分の伝わらない事はさておいても、人からの幻のようなメッセージにに振り回されない様に、私も蹴っ飛ばして行けたらなって思ってます。
また自分の殻を破る戦いで、そして自分が磨かれて、自分の本質へと回帰していくのだと思います。自分の本質はとても尊いものだと思います。