”死”から”生きる”を問われる。 |
死ぬことを考えるのが一番で、
自分の終わりをどうするか、いつも考えています。
歳とともに身体が衰え
壊れて行くのは当然で
壊れ行くことを、受け入れていこう、
そのためには癌がもしかしたら導いてくれるかもしれないなーとも
考えています。
だから一切の健康診断をうけません。
癌になったら、受け入れて、手遅れぐらいが
ちょうどいいかなーと
思っています。しかし
死という窓から生を眺めてみることほど
”生きる”と言うことの大切さを思い知ることは
ありません。
死をすんなり受け入れるには
もうー存分に生きたという充実感なしには
ありえない・・・と私は思っています。
だから
どうしたら、自分が満たされ
やりつくしたらいいかと
常に考えてきました。
そういう裏にはいつも
”死”という意識が張り付いています。
まーやりたいことは
殆どやったし
欲しいものも殆ど手に入れました。
あとは
あとは人間はみな
自分だけを生きており
自分のために他人のエネルギーを貰わない・・とう事を
徹底させえることですかね。
そのためには
精神的な甘えや依存をしない。
ひとりであることを肝に銘じておくこと。
そして
他人の幸せを願うことだと
思います。
カウンセリングを勉強したおかげて
人間の心がいかに傷を持ち
その傷に人生が翻弄されるかを
知りました。
本人が自覚的に自分の内面をみつめ、
そこにある傷を癒し
自分に課せられた問題性に気づき
変えていかなければ、
人生は傷に乗っ取られたまま
過ぎてゆく。
そういう人間の業とでも言うべき
この世のフィールドを
誰もが懸命に生きていると思います。
わたしも同様に
できるなら”死”に間に合うように
自分の傷を癒し
邪念をおそうじして
すっからかんに
あっけらかんに
消えていきたいなーと
思います。
もちろん消えたらそれで
一切がおしまいです。
霊も魂もアリマセン!
こういう風に
ブログに書きながら
自分を毎日みつめることができて
ほんとうに
幸せだと
思います。