人造人間じゃーあるまいし! |
いわゆる優等生というか、
対人的なバランスを取るのが上手というか、
知人の中にそういう人がいましたが、
あるときからその人のカウンセリングを始めたら
もー凄かったです。
優等生だから、頭が巧妙に働いて
自分の本心を隠すことや
他人をコントロールすることに長けている分、
病膏肓に入る・・というか
心の底はドロドロで、さらに
ドロが固形化したような石炭が
心の中に山積みもされた、
怨念の塊でした。
常に傍観者で自分を防衛して
現実と生々しくかかわらず、その分もう
観念的で、思い込みがはげしく
その観念の世界で呪いと復讐心が
たぎっていました。
表面の優等生の仮面の下には
救いようがなうほどの
人間嫌悪と人間不信でした。
今思い出すだけでも
疲労が襲ってきます。
傍観者ですから
バランスだけは上手に取る分
人間の温かい温度に触れることも、
他人とのふれあいのなかで
自分の人間観を書き直すこともできない。
人間には確かに彼女が思う込んだような
汚い、ずるい心もあるが
でもやわらかい、温かいぬくもりもあるんだ・・・と言うことが
実感できないのです。
いつも傍観者の高見の見物で
自分の難は逃れられたかもしれないが、
実感が乏しいので、
自分の観念でしか対人できず、
他者にたいしては、
いつも疑心暗鬼でした。
そういう彼女のカウンセリングは
もう悪戦苦闘の連続で
取っても、とっても
恨みや復讐心がなかなか溶解せず
逆に彼女に切り込む私のほうが
悪者にしたてられていく・・・というなかで
カウンセリングを打ち切りました。
当時彼女はわたしに自分の親を投影して憎み
逆に母の日などは、優等生の娘として
贈り物をしていましたから、
その先どうなったかは
しりません。しかし
確実にあの
仮面の下のヘドロのような世界は
少しお掃除できたと思いますから、
ずーつと生き易くなっているはずです。
カウンセリングの効果は
ある程度時間がたって
自分を振り向いたときに
ああー
あのとき、自分が変わったんだ・・・と
気づくモンデス。
時には何年かたって気づく人もいます。前にも
書きましたが、
ある青年が高校生の時に、父親との対決をし
心の中に巣食っている父親を退治しました。
そのカウンセリングの翌日
彼は初めて父親を殴ったそうです。
その報告を聞いて、ああーこれで
よし!と私は思いましたが、
最近もう10年以上もたって、彼の母親と再会したとき、
「あのカウンセリングの翌日、
お父さんと殴り合いをしませんでしたか、
それが彼が立ち直る岐路だったんですよ。」と話しました。
そのとき、初めて、その母親は、はっとした顔になりやっと
カウンセリングの効果を理解したというわけでで・・・・トホホ
まあ
そんなもんです。
あの優等生の仮面の彼女ももう、
50歳半ばになったと思います。
せっかくこの世に生まれたのですから、
傍観者なんて、脇を生きないで、
しっかり自分の主役を生きて欲しいものです。
傍観者の高見から人間を眺めても
自分の孤独と観念化が進むだけで
生きている生命のダイナミズムを味わうことができません。
辛いこともあるけど
ワクワクすることも
ある。
昨日も書きましたが、
人間は自分のトラウマを抱えて
生きるしかないのです。
自分の中にある汚い部分や
ずるい部分や
弱い部分があって何が
悪い!
当然じゃろ!
優等生のように
いかにも卒がなく良い人間なんて
いるものか・・・と
私は思います。
人造にんげんじゃーあるまいし・・ねえ!