素直になるには・・・? |
ものごとが極められて最後に行き着くところは
”素直”なる地点かもしれないが、
ではどうしたら”素直”になれるか・・・。
最近私がしきりに思い、
もしかしたら一つのヒントになるかもしれない
キーワード、それは
『知っている』ということです。
人間は”知っている”と言う状態ではすーっと心を開き
”知らない”という状態では、構え、緊張し、
閉じてしまいます。
例えば
"おいしい”ということを知っている人は
すーっとおいしさに引き寄せられ、抵抗なく
そこを極めていきますが、
”知らない”人は迷い、格闘し、
しらないから、ドンドン深みにはまってしまいます。
では”知っている”と自覚するためには
何をしたらいいか・・・?
知りたいとおもうことを
どんどん知っていったらいいと
思います。
あたりまえのことですが。
でも知りたい・・・という欲求の裏には、
”自分は知らない”という認識がないと
それは起きてきませんから、
”自分は知らない”ということを
自覚できないとねえ・・・。
そうあのソクラテスの
「無知の知」ですね。
でもこれはとても難しいことです。
平たく言うと
人間は殆どが
”知ってる”と思い込んで生きており
冒頭にも書いたように
”知らない”ということは、不安や恐怖を引き起こし
ブレーキをかけてしまいますから、
知ってる・・・と錯覚して生きてます。
それとたかだか、自分が知りえた情報だけで
全体を図ってしまい、なかには、
そのちっぽけな自己情報だけで
全体を否定しまう。
そういう生き方をしている人も
組織も国もたくさんいますよね・・・。
私は子供時代に、私を溺愛する父親が、
なにかが彼の気に障り、あっという間に
豹変し、すごい形相でわたしを折檻する・・という
中で育ちました。
いったい私のどこか彼の気に障ったのかは
殆ど解らず、恐怖にかられて
いました。
子供の私にとって親=人間は、
得たいの知れない動物で、
おそらく無意識のうちに
この動物(人間)の正体をしらないと
自分は安全ではない・・・と
思ったのでしょう、
ずーっと
「人間とはなにか」を考え続けてきたように
思います。
答えを捜して小さいときから
本ばかり読んでいたと思います。
特に人間の内面を描いたもの
または、精神を病んだり狂気に
なっていった人間などにはとても
興味がありました。
あるときユングの本を読んでいたら、
狂気のあるものは
狂人に興味を持つ・・・と言うようなことが書いてあり
ぞーっとして、以来
フツーの人間になるには・・と
考え続けてきました。
しかし今、自分の人生を振り返ってみると
ずーっと
「人間とは」と追求してきた自分がいます。
そしてこの歳になってようやく、
おおよそ人間のアバウトな輪郭は
見えてきたように思います。
それも
あの子供時代のおかげです。
人間の正体をつきとめようと、
親の顔色を伺い、常に他人に対して
自分を研ぎ澄まし、
観察し、
本の中の学問や科学で検証し
その中から、安心材料を少しずつみつけては
自分の骨格に張りつけてきたと
思います。
ホボ人生をそのことに
費やしてしまいました・・・笑い!
先日も書きましたように
人間は、ほとんど
”知らない”のです。
もし
”知っていた”らきっと
悩んだり躓いたりは
しなくてすむでしょうから。
自分は知らないのだ・・という自己認識から
出発する・・・。
知らないから知ろうと努力する。
知ることによって
自分が少しずつ解放されてゆく。
知ることによって
自分が整理されていく。
そして
知ることによって
自分が安心と安息を
獲得していく。
人間をしれば知るほど
みんなが
同じ地平で
どっこいどっこいの
どんぐりの背比べで生きている・・・ということも
わかってきます。
無知の知から
知ってる・・・へとね。
知ってる・・・が極まれば
極まるほど
素直になっていくのかも
しれませんね。
そう
思います。