私のカウンセリングルーム。 |
聞かれます。
本当は、ゆくゆくは人生最後のご奉仕として
やろうかあなーとも
思っていたのですが、
カウンセリングルームを開くと
そこを維持することにエネルギーと経費がかり、
せっかく社長業を息子に譲って解放されたのに、また
経営や経理や税金などの雑務をやるのはもうゴメン!
それと
個人的にお引き受けした今までのカウンセリングは
無料か、或いは、
ランチをおごっていただくという形でやってきました。
その理由は、
わたしのカウンセリングは
問題の核心まで突き止めますから、
時に延々と
時間が必要になること。
それにはカウンセリングの料金がかなり
かさんでしまいますから
料金がなければカウンセリングできない・・というのでは
何も意味がない。それに
私は充分暮らしていけてますから
お金を頂く必要がない。
そしてもうひとつ重要なことは
お金を払ったから、それだけの分カンセリングしてほしいとか、
逆に、お金をこれだけしかはらっていないから・・・
いいんでしょうかという気を使う、というような
そういう世俗的な、
よけいな価値観から脱してもらわないと
私とは付き合えない。
つまり
ただ
ひたすらの自己救済に向って
自分と向き合うのだという
無心の、汚れや垢が邪魔をしていない
世俗な甘えを取り除き
真水に姿を写す様に言葉を吐き、
聞いていく心の水準が欲しいです。
お互いが信頼する中の
真剣勝負として
カウンセリングが始まるからです。
本当にそのひとがしっかりと大地に足を踏ん張るには
かなりのカウンセリング回数と時間が
必要なこと。そして
カウンセリングを打ち切ったその瞬間から
そのひとが自力で生きていくために
その人にとって必要でかつ大変な
試行錯誤の道を
無言で見守る
というサポートが必要であることなどを
考えています。
まだまだ足元がおぼつかなく
よろけそうな相談者にとって
その人間の存在を全肯定する人間が
世界でたったひとりでもいるというサポートが
ひつようで
ああ私がやろうとしていることは、
たかだか一時間のカウンセリング・・・0千円で
カウンセリングすることじゃーないなーと
思ったからです。
しかしそうは言っても
どうして良いかわからない人が
カウンセングにより
胸に詰ったこものを吐き出せたり
或いは、少しでも自分を客観的に見れることが出来るだけでも
随分人間は楽になります。
それはそれで
広範な人を対象にした
カウンセリングルームで
なされると良いと
思います。
ただ、人間は本当に重層に織り成し錯綜する心理を
持っており、
その人がほんとうにその沼から脱することは
その人自身の自分に対する情熱と
しんどくてもやり遂げる努力が必要です
つまり
自分と向き合って逃げない・・という覚悟ですね。
私の場合はいっさい告知はしていませんから
本当に窮地にたち、
そこから脱したいと思っている人、
自分を変える覚悟が出来ているひと、
そういう人は
不思議なことに
なんとかして、
わたしを着き止めて
訪ねてきます。・・・凄いね・・・笑い!
そういう熱意というか
真剣さにたいしては、
私自身の総力をもって
向き合わせて頂いてます。
それは私にとっても
体力と気力をフルに総動員しての仕事ですから
その後の消耗度も
凄いです。
あんちょくな方や
まだ覚悟や気持ちが坐っていない人は
お断りしています。
どうしても変わりたい」
或いは窮地を脱したい人たちは
カウンセリングが進行していくと、
次第に顔つきが変わり
目や口元が引き締まってきます。
また
自分の頭を振る活動させて
自分で考えだし
自分を
信頼し始める。
そのときは
ほんとうに
嬉しいです。
そのひとが思いこんでいた
或いは
自分を押し込んでいたフレームが
破れだして
その人本来の生命力が
湧き出てくる。
まさに
終わりと
始まりの
ページが開かれる
瞬間です。
相談者と私の共同作業が
報われていく
神の手のひら。
だいたい一年に
ひとりか
二人くらいの方が
訪れ
卒業していかれます。
わたしも、もう歳で
ほんとうに体力も気力も
衰えてきましたから
これくらいでいいかなーと
思います。
自分を変えるということは、
そのひとが
どういう風に
生きたいのか
そしてそのために
何を捨て
何を獲得するかの
たいへんな戦いだと
思います。
でも、もしいつか辿り着ける事があれば、カウンセリングしていただきたいです。