年のはじめに! |
あるカウンセリングの相談者から
守護霊などがありえない…ということを
わかりやすく書いてほしいといわれました。
その時は、はぁーて、
読む人のほうに
脳や心理学などの知識や理解力がないとなあー、
どう書くかねー。。。。。。と
思案していたが、
今朝、明け方にうとうとしながら
こう書いたらどうだろうーと
考えが浮かんできました。
私たちは自分も他人もその人の性格や人格が
一本の木のように不変に確定しているという
思い込みがあり
守護霊とか
霊とかいうのは
そういう前提のもとに
あたかも確定し不変の人格が
死んでも、存在するような、
そういう文化というか思込を
しています。
しかし、脳というのは
基礎的なデーター記述による
脳と体の反応の現象として、
たとえばAさんは
〇〇な傾向があるということで、
実際、脳も身体も常に変化し
進行しています。
今の自分と、次の瞬間の自分は
すでにもうどこかが微妙に違うのです。
つまり
私たちは常に消失しては
生まれかわっているのですね。
よく人間はかわらない・・といわれますが、
実はかわっているのですね。ただ
その人の表明意識がそれを
自覚できないのですねー。
つまり私たち生き物は
死の瞬間まで
変化し続けて行くということです。
ですから
たとえば私のおばあちゃんが守護霊です・・なんて
言われても
そのばあちゃんとは、いつの瞬間のばあちゃんですか、
それともボケちゃんてしまった瞬間のばあちゃんですか?と
いうわけで・・・・笑い・・・。
お正月から何を言いたいのかというとね、
私たち人間は
いつでも変わることができる
そして
それは
自分がどういう生きかたをしたいのかも
自分で創造していくことができる・・・と
言いたいんです。
たとえば
私が猛烈に落ち込んで
ふさぎ込んでいるときに
ふっと見上げた空に
大きな手を広げて
私を包み込むように
まっ黄色に紅葉した銀杏の木をみて
瞬間私の中の息吹が吹き返した…というようなとき
もしかしたら私はそこに
自分を超越したなにか、
神をみるかもしれない。
それを神の働きと思い込むかもしれません。
そういう風に
人間はずーっと自分の力を超えたはたらき、
それは時に大いなる喜びや生きる息吹であったり
また時にはえも知れない不安や怖れなどで
あつたりするのでしょうが
そういう形のない明確でないものを
常に自分たちの文化の中に
取り込んで生きのびてきました。
そうして、
そういう自分の想定、理解を超す
現象に対して
常に自分達の手の内の中で理解できるように
囲い込もうとして
神殿や、鎮座する座を作り
またそれに神”とか”霊”とかの”
名前を与えて
権威づけ
権力や力、支配する力をあたえたりして
崇拝したり
拝んだり
時にその権力を利用してきました。
その流れの中に現代の
私たちもいます。
しかし、実はね
それも人間の心理の投影ですから
場所や時間や民族や国家によって
さまざまなる内容と形ができてきますから
世界中には
様々なる神や宗教が
できてきたというわけですね。
以前書きましたように、
遠藤周作氏が遺作で
神を玉ねぎとたとえ
また彼の親友である井上洋治神父が
神は”はたらき”と唱えましたね、
私も
神とは
”はたらき”だと思っています。
そしてその神は
権威も権力もなく
人間を脅すこともない
やさしい
自然の”はたらき”だと
思います。
そしてね、
私たちのこの地球が生まれ
また地球に人類が生まれるためには
様々な偶然の積み重ねがあり
それは目もくらむような確率の中の
スン差の偶然からなることであり
まるで神の手の技のようです。
ここに存在している私でさえ
人間になるための受精の確率は
1億から3億分のⅠといわれているなかで
奇跡のように
この世に誕生しました。
これを読んでくださっている
あなただって
1億から3億分の一の確率で
この世に生まれてきたのですよ。
すごいでしょ。
すごい奇跡でしょ!
そしてたった一度の
人生を
今
生きている。
それは
40億年前に生まれた生命の
沢山の偶然や奇跡をかいくぐて生き延びてきた歴史が
私たちのうしろに、
どーんと横たわっていて、
私たちが存在しているということです。
すごいねえ。
自分が生きていることの
すごさ、
そして
尊さを
感謝して
ガンバって
生き抜い
行きましょう!