迷うことと考察することの違い! |
六道の波鼓動し、
心原を悟るが故に、
一大の水、
澄静なり。
澄静の水、
影万物を落し
一心の仏
諸法を
鑒知す。
空海(秘密曼荼羅十住心論)
自分自身が迷うが故に
現実世界が揺れ動く。
こころがありのままであれば
水は澄んできて静まる。
澄みきった水は
万物の影を映し
ひたすらに
あらゆるものへの
考察をかんがみることが
できる。
という
人が”迷う”ということの
神髄をついた
空海のこどばですが、
今日はずーっと考えていた
”迷う”ことと
”考察する”ことの違いについて
書きながら
考えてみます。
人間の心が迷いに陥ったときは
その裏にあるこころの働きは
欲や執着や自己防衛や自己保身などの
エゴが
あります。
迷っている事項について
損をしたくない、
失いたくない
自分に不利なようになりたくない
自分が傷つきたくない
あわよくば無傷で
手にいれたい!
などとね。
こういう迷いの中にある自分も、
迷いの中にある他人とも
私は付き合いたくないです。
迷いが起きると
必ずエネルギーの浪費が起こり
身体に負担がかりますから。
迷っているときは
機が熟していないと判断し
即
頭の働きを中止する。
そして自分の中の弱さをしっかり
認識する。
ことが熟していくと
迷いませんから
即決断できます。
そして迷いとおなじように
物事を頭の中であれこれと検証していくことに
”考える”(考察)ということがあります。
考察が迷いと決定的に違うのは
自分の利害を超えて
高次に解決しようとするもので
弁証法的といいますか、
あれか
これか
では
なく、
あれも
これも
含めてか解決する。
その場合
高次の解決によっては
どちらかを
一方に解消、吸収していくということも
或いはきっぱりと見極めがついて
捨てるということも
ありうる。
迷いとは欲が突っ張っていて
あれも
これも
捨てがたいという
状態で
思考(考察)停止になります。
カウンセリングなども
自分がくるしいから
ぜったいここから
抜け出そう・・・と
一心に思う人は
あがきながらも
自分の心を
外在化できたとき
そこに
まっすぐな道が
見えてきます。!
※この、心を外在化させるお手伝いをするのが
カウンセラーです。
しかし
できたら
傷つかず
また
自分の
醜さも
隠し通せて
解決できたら、なんて
人は
結局
自分の周辺を
ぐるぐる回るだけで
なにひとつ
道は
見えてきません。
どんどんドツボに
嵌るだけでしょう!
苦しいことは
いいんです。
苦しいからこそ
人間は考え
出口を
探す。
そのことがやがて
深い
覚醒へ
つながっていくのだと
思います。
欲を
捨てることですね。
自分に
言ってます・・・笑
寒いのに
頑張って咲いてます!