瓦解するものたち・・・№3、内省を捨てた世界から・・・? |
ありました。
時代は欲望がドンドン加速し
金欲や物欲があからさまになり
それを助長するような
経済至上主義の時代だった
気がする。(今もまだそうですが・・・。)
このブログを読んでくださるかたはもう
ほとんどご存知かと思うが
欲望の衝動の底には
その人間の欠損感があります。
みたされない空洞が
ぽっかり穴を開けていて
そこを埋めるための欲求が
手を変え品を変えて
自分のなかから
突き上げ来る。
それは物質に投影されたり
人間関係における支配欲や
依存や征服欲(上昇欲)に転化されて
その人間の無意識を
のっとってしまう。
人間はこの欲望の地獄から
逃れられないのだろうか・・・?
文明は
欲望を突き進むしかないのだろうか・・?
そんなことはない・・・。
人間は絶えず、自分の欲望を相対化して
破滅を回避してきたではないか・・。
自分の自我を映しだしては
考察をかさねてきたではないか。
自分という人間を相対化し
自我を、欲望を相対化しそして
そこから垣間見えてきた自分を抱えて
それを現実の空間でどう実践するか(生きるか)?
そのことを
少しずつかいてみようと
思います。
ただはっきりと
明言できることは
少なくとも
自分の欲望や願望や支配欲を
我慢させて
ひたすら
ストイックになることでは
ありません。
逆です。
自分の欠損感が渦巻く
心の空洞がなにがそうさせてるかを
発見し
また自分をそうさせている
自分を縛っているものを
見つけ出し
その紐を解いてゆく。
そして
極力自分がほしいものを手に入れ
自分がしたいことを為して行く、
実現させていく事で
少しずつ欠損が埋められていきます。
しかしこのことはそうは簡単ではありません。
まず自分の行為を分析しながら
自分の欠損や空洞を突き止めていかなければ
ならない。
その作業が大変なのです。
覚悟を決めて
自分の扉をひらくことが
まず勇気を要します。
自分の欲望は実は
自分の中の自分がSOSをだしている
サインでもあります。
なぜ自分はそうなるのだろう・・・というところから
始まります。
人間は欲望の正体をつかんだら
もうその欲望に振舞わされなくなる第一歩が
始まります。
今の時代はそういう人間の内省の美しい世界が
捨てられた結果だと
私は思っています。
ストイックでも
道徳的でも
偽善的でもない
ごく自然な人間のありようを
取り戻す事だと
思っています。
これから
すこしずつ
書いていきます。
ご自分を解放、開拓していってください。時間のあるときにまたおいでください。更に深めることができると幸いです。