すっかり、わすれちまおう! |
若いころには、訳もわからず
突然自分が落ち込んだり
何かのはずみで鬱々になったり
また、ハイテンションのなか
よく考えもせず、行動に走り、
とんでもない失敗をする自分がいました。
朝目が覚めると訳もない不安に襲われたり
50代初めやっと
自分の心のメカニズムが見えてきて
その原因のひとつが
母親からバトンされた
脅迫神経だという事が
分かってきました。
だから55歳の時父が亡くなり
少し頭がボケてきた母親を引き取り
同居しはじめると、
母親が自分の不安の中に
わたしを引きこもうとする言動に
警戒心が働き
母親をいたわることより
自分が不安に陥いらないように
距離を置いて接することしか
できませんでした。
これはものすごく厳しい人間の見方で
本人さえも気づかず
やっていた不安神経症の事ですが、
母親は不安が大好きで
不安の種を探しては、喜々とそれを口にし
家族が動揺するのを
喜んでいたと思います。
母はとても心の優しい人なんですが
一方でそういう心の病がありました。
その動機の底には
自分と一体化して
不安におののいてくれる人間を
求めている
母親の心の欠落があったと思います。
晩年には父親も
彼女のこの不安症の中に連れ込まれるのを
警戒していたと思いますから、
おそらくものすごい孤独であったかと
思います。
母を介護しながら一方で
私は母から逃げたくて仕方ありませんでしたから、
母の最期にとって
私はとても冷たい娘だったと思います。
しかし
私の生活はいつも頭の隅に母のことがあり
常に母を背負いながらの生活でしたから
まあ―最低限のことはできたかとは
おもうのですが、
今でも母のことを思うと
もっと優しく接してあげたらよかったなーと
自分を責める自分がいて
とても苦しくなります。
しかし
カウンセラーとして
クライアントの自分を見ると
私は自分に
忘れなさい・・・と言っています。
人間には
いろんな宿命があって
後からならいくらでも考えられるけれど
その時には
そうするしかなかった自分がいるのだから・・と。
もともと人間なんてちっぽけなもので
その人ができることなんて
たかがしれているのだから
神様になろうとするな・・・と
カウンセラーの自分が言います。
そして
人間は自分の行った
数々のステキな行いよりも
失敗のほうばかりを
思い出す。
反省癖や自責癖がある人ほど
自分を責めることばかり
思い出すのですね。
だから忘れる事に
OKをだして
思い出さないことなんです。
ともすると
強迫神経症の人は
自分が不安に陥ることで
自分の”実存感”を味わおうとします。
うそのような話ですが
自分が不安のほうが精神的に安定したり
また
自分が満たされたりするのです。冒頭の
母のように
です。
母の父親、私の祖父は
几帳面のかたまりで
まさに過剰なほどの脅迫神経症のひとだったらしいですから
母はそれをバトンされ
また私にバトンしたのだと
思います。
こういう風に脳にバトンされ記述されたものは
脳の可塑性から、
その人間にはそれがあたり前のこととして
生る前提となりますから、
母はそういう自分を死ぬまで疑いもせず
生きたと思います。
しかし
私は母より少し世の中でもまれ
少し客観的に自分を見ることができたこと、
そうして自分の異常さに対して
問題意識にめぜめ
きちんと向き合う努力と勉強をしたことで
やっと母親のバトンから
外れることができました。
そして、それを
私の子供達へバトンしないように
わたしのところで
くいとめる。
そういう風に思って
頑張ってきました。
母とのことで思い出すと
胸が痛くなります。
しかし
私が次へとバトンするためにも
私は母親との苦い思い出を
忘れようと
思います。
自分のいきる生命力に
ブレーキをかけない!
そのためにも
神様からいただいた魔法の術!
忘れる・・・を
大いに
活用しようと
思います。
さぁー、
すっかり
わすれちまおう!
奈良の興福寺の日光菩薩です。
これは絵葉書を写真に撮ったのですが
光が入ってしましました。
素晴らしく気品に溢れた菩薩様で
心の奥の方まで沁みとおるような愛を感じました。
誰の心でも、
その奥深いずーっと深淵には
いやもしかしたら暗渠かもしれない暗がりの中に
こういう菩薩がきっといると
私はおもっています。