夢が教えてくれる! |
明らかに自分が気になっていることを
夢にまどろみながら
考えている。
先日も夢も中で考えを巡らしている自分がいて、
夢の中で考えるという事を
改めて発見した。
いちおう夢分析も勉強したのだが
それも20年くらい前の、
ユングのアーキータイプに基づく夢分析で
今ではもう古典的な手法になっている。
1ヶ月くらい前に見た夢も面白かった。
その夢の事を書こうとずっと溜めていたので
ご紹介しますが、
それはゴールデン・レトリバーという犬に
襲われそうになるというか、その犬を
怖がっている自分がいて、
目が覚めてもその犬のことは
よーくおぼえていた。
そのまま日常をこなしながら、
はっと気がついたのは、
その前日だったか、もっと前だったか、
今は覚えていないのだが
私が自宅前の道路を掃いている時
ご近所のかたが
ゴールデンレトリバーという犬を散歩されて
通りかかった。
じつは私はその方と
あまり親しくはないのだが、
彼女のほうが興味があるらしく
時々道端でことばを交わしていた。
あるとき、我が家がフォームしたことが
話題になり、
彼女の家もちょっといじりたいという事で
私の家をリフォームした大工さんを
紹介した。
それ以来何度か彼女に会ったのかどうか、
もしかしたら、会っていて
その時嫌なそぶりをされたのかもしれないが、
今回、彼女が立ち止まって言うには
わたしが紹介した大工さんから
ぼったくられた・・・・といのである。
へーっと驚いた、実はその大工さんとは
もう20数年の付き合いがあり
私は彼の仕事ぶりをとても信頼している。
いわゆる職人気質の人で
細やかなところまで決して手をぬかない。
後になって、
ああ、こんなところまでやってくれたのか・・・という
気遣いの仕事が何度もあった。
しかし
もしかしたら、
この値下げ競争の時代に
彼の仕事は高かったかもしれない。
しかし、その犬の彼女もわたしと話すうちに
自分が安物買いの志向にある・・・と気づき始めたのか
ぼったくられたという被害者意識の口調が
だんだん、力が弱くなって、最後には
いい仕事をしてくれたので
たまには寄るように行ってください・・・と
伝言されて、
通りすぎていった。
あのゴールデン・レトリバーの犬の夢には
彼女は出てこなかったが、
私はあの犬の中に投影された
人間の動物的本能というか、
洗練されていない欲望というか
そういう本人は気づいていないのだが、
人間の中にある潜在的な攻撃性、
つまり
本当は私は何もしていないのだが、
彼女の欲深さに、一瞬たじろぎ、
自分が紹介したことを責め
脅かされたなあーと
思う。
或いは
そういう欲深い人間達に
私自身が常日頃から
怯えている自分がいる。
または、欲どしい人間の盲目的な攻撃の前で
無力感が募る自分がいる。
夢は自分の潜在意識に残された不安や
解決されてない感情が
ある刺激を受けて
その時に出遭った対象に投影されて
浮き出てくる。
先般のジル博士のレクチャーからひらめいた
私のまったくド素人のひらめきですが、
もしかしたら、
右脳と左脳を止揚する脳梁のコントロールが
睡眠中には低下され
その日脳に刻印された強いイメージと
潜在意識のなかにある、解決されていない感情が
脳梁のコントロールを外れて
パッチワークのように
断片がつながって出てくるのかもんしれない。
私自身のなかに
わたしがコントロールできない人間に対する
強い怯えがある。
そういう
人間観が、確かにあり、
おそらくそれは幼児期における
父親や周辺の大人たちに対する
怯えからきていると
心当たりがありました。
さらに私固有の問題として
今の時代、
ものの本質的な価値ではなく
安価に群がる人の群れを見るにつけ
自分がどんどん世界の隅のほうへと
押し遣られていく孤立感もあります。
つまり
私は時代の中の圧倒的少数派の人間で
孤立している。
それを承知で生きているにも関わらず
一抹の不安がある。
そういう自分の不安を超える
何かをしないと
いけませんね。
いわゆる
存在の不安というか
それぞれが持っている
そういう不安の中を
わたしだけでなく
人々は
いきているのだと
思います。
わたしもこの夢を見てから
そういことに
できるだけ
脅かされないようにしようと
決心できました。
最後にホントにこれは
よけいなことですが、
例えば、銀座の英国屋で仕立てたスーツを一着
何年もボロボロになるまで着尽すとか、
ドイツの職人さんの履きやすい靴を
穴があくまで
履きつぶすとか、
廻る寿司もいいけれど
浅草の弁天山美家古寿司の
江戸から究めてきた職人さんが
華麗に握る寿司を
堪能するとか・・・。
(お任せは5000円でOKです。)
100年は持つよ・・という木工職人の徳岡さんの
家具を、木の命を味わいながら
100年?使うという贅沢。
ふだんは質素に簡素に暮らしながらも
そういう腕を磨いてきた職人さんの
逸品を対価で求め
長く愛するというのも
大変楽しゅうございます。また
そういう”いい仕事”の職人さんが
生き残っていける
世の中だと
嬉しいのですがねえー!
大枚を叩くことと価値を読み取ること(審美眼を持つこと)が等価交換できるようになりたい。
ところで家具職人の徳岡さんは青梅の方ですか
徳岡さんはギャラリー伝心柱への出品をしていただいた、青梅の木工作家です。彼の技術を私は高く評価しています。我が家のテーブルは彼の作品です。