そんなに苦しみなさんな!肯定と可能性の国へ・・・! |
以前も書きましたが、
コメントなどを読ませていただくと
ああこの国はまだまだ
『否定』という力学が強いんだなーと
思います。
私はそれを
嘆きます。
稲作の国日本は
集団を基調とするため、
人々は、どうしても
集団を維持するために規制をかけて
逸脱者を出さないようにします。
だからこの国の人々の多くは
歴史的に
自己規制をし集団に埋没し
自分を抑圧し
自分を検閲し
相互を監視し
好んで不自由を生きようとします。
どうしても否定的なんですね。
身体の中に沁みついている
否定的な感情がね・・・。
江戸時代寺社奉行のもと
違反者は村八分にして
お互いを監視させたという
歴史のなかを人々は
生きてきたからねえー。
でもねぇー
もうそういう時代じゃないです。
人間が全く平等であるのは
倫理でも
道徳でも
ヒューマニズムでもない
事実なんですぞ!
それなのに
自分を生かし切れるか
というと
わざわざ自分をがんじがらめにフン縛って
生きてるんだから。
わたしがいくら
自分を全肯定して
自分の中に或る宝物(自分が蓄積してきたデーター)を
フル活用して
いきてごらんなさい!
もう一度
否定じゃなくて
全肯定だよ・・・といっても
苦しい方が好きな人は
でも、デモ、と
言う。
成功体験がない人は
成功しない方が落ち着くらしいし、
否定に悩む人は
否定的に悩んでいる間は
自分が新しい事や
困難な事に挑戦しないで済むから
そこにしがみつく。
まあいろいろあるけれど
昨日も書いたが
どんな人間もたいがいが
五十歩、百歩で
みーんなそれぞれがゆがみやいびつを生きてるし、
たいして自分と変わりないんだよ!
ただね、
先日亡くなった伊良部投手なんかを見てると
生き方が、へたくそだなーとも
思う。しかし
彼は、こうして上手に生きるんだよー・・・という
お手本を教えてもらってないかもしれない。
あまりにも自我が強すぎて
本当は
お手本になる様な人がいても
それを受け入れられなかったかも
しれない。それでも
きっと
せいいっぱい生きたんだろうなーと
私は思います。
昨日は自分の原型という事を書きましたが
自分の原型だけで生きようとすると、
自分なんて
ちっぽけな情報しかもっていないに
決まってるんだから
行き詰まるのはもー当たり前のことで、
原型から出発していかに
外部情報をどんどん獲得して
自分を豊かに
覚醒させていくかですよ。
その時
自分の原型がチャ―ンとしていない人は
山ほどの
星の数ほどの
溢れる情報に翻弄される。
しかし
原型がしっかり自覚できている人は
自分の欲求や考えに従って
情報を分別し
必要なものだけ
獲得してく。
世界は広いよ!
まだまだ知らないことだらけって
思えるひとは
どんどん好奇心を燃やしてください。
死ぬまでに
どこまでわかるんだろう・・?
いきることは
苦しみでは
ないです。
生きることの目的は
苦しみから抜け出すことです。
安直に
ものは手に入らない!
しかし
暗闇のなかの手探りでも
苦しんでも、
その苦しみがいつか
報われて
その人を幸せに、あるいは
豊かにする。
苦しみに育てられるんだね。
まあー苦しみたい人は
苦しんだらいいでしょうー。
しかし
苦しみたくない人は
そんなに苦しみなさんな・・・。
これも以前書きましたが
どんな人間も
明日こそは
素敵に生きよう・・と思って
生きてるもんです。
はやく否定の蔓延する国から
肯定や可能性をめざして生きる人々の
国になるといいねえー。
わたしが生きてるうちに
なるかなー・・・?
少なくとも
それを
書き続けて
死ぬことに
しましょう。
もう一つブログをやってます。
『伝心柱マガジン』といいます。
よかったらどうぞ!