言葉に導かれ! |
近くのマミマートというスーパーに行ったら
そこの雑誌売り場に「救いの言葉・親鸞」という
ちいさな本があり、買いました。
親鸞の思想の神髄は、
すべての人間を丸ごと救おうとしたことで、
昨日私の中にふっと浮かんだ
「人間はすべて善で、善きことも
悪しきことも含めて
丸ごと善というもんだ。」
という事と一致する。
カウンセリングは先入観をできるだけ排して
相談者と向き合う。
それは人間のさまざまな苦悩は
心理の深層にちゃんと原因があり
そこに光をあてていくことであり、
それには
人間をゼロという全くの白紙として
向き合わなければならない。
そもそも”善と悪”も
人間が作り出した規範であり
そえれすらも取り除いて
私の場合は
その人間が”滅びにいたらないためには
どうしたらいいか”という観点で
向き合いたいと
思っています。
お互いに未熟で、
出来損ないどうしが
この世という狭いフィールドで
自我をかざしてぶつかり合う。
どうして自我があるかというとそれは
最終的にはその人間の生命保全のためにある
記憶(データー)の蓄積と
シュミレーション装置だと
まあー私の独善で、そう思っています。
だからデーターにもたくさんの誤った記述があるし
また、それをもとにしたシュミレーションも
過剰になったり、錯覚だったり
要は生きてみなければ
わからない。
しかしどんな人間も(生命)も
生きるように方向付けらて
この世に生まれてくるのであり、
生きるとは
”善”が”希望”が
その根底条件だと
私は思う。
そういう人間の懊悩を
800年以上も前に親鸞は
洞察していたということだから
すごいね。
そしてひたすら念仏を唱えなさい
一切を忘れてただ
唱えることだけにその身をゆだね
あれこれ悩まなくていいよ・・と
親鸞はいう。
ほんとにそのとおりでね、
自分を信じて
自分を
圧倒的に信頼してね
自分のなかの過ちも
未熟さも
愚かさもいっさい
それでいいよ!ってOKをだして
楽天的に
のほほんと生きることこそ
ほんとうの”生きる極意”だと
わたしも思います。
あれこれ
悩むとき
わたしを救い出してくれるのは
言葉です。
先人達のことば
いまを生きる同輩の言葉
本のなかの一筋の言葉
自分を掬い上げるのに
ピタッとはまる言葉を
みつけては
それで、
かろうじて自己暗示しながら
生きてます。
言葉に導かれて
やっとかっと
生きてこれたなー・・・と
思います。
]『伝心柱マガジン』もやってます。
よかったらどうぞ!今日は絵画展です。
のほほんと生きる
ああ、本当にいつかそうなれたら!なる!
hashiraさんに教えてもらった加島祥造さんを読んだ。
求めない。
その言葉だけで風が体をゴーっと吹き抜けた。
今日、子の塾をやめさせた。
決めるまで三ヶ月かかったんです。
求めてた、すがりついてた、
で、いつも裏切られ感で塾長を恨んでた。
さよなら、いっぱいお金使いました、
アタマのいい人にはかないませんわ。
うまく丸め込まれてたわー。
求める限りエネルギーだけじゃなく
金も吸い取られるなぁ(笑)
でも今日、私はすがすがしく笑ってます。
せいせいしたーーーーーーー!
馬鹿をしでかしながら
これからも少しづつ
自分の中を流れる澄んだ水に気づけていけたらなあ。
欲ににかまけて浪費したなあ、
でも私はまた求めるんだ、きっと。
不可解で未知で、でも気になる他者へ、世界へ。
でも前の飢餓とは違う、
傷ついても私は納得すると思う。
hashiraさんから沢山気づかせてもらえました。