漫画『「野田ともうします』から・・・・! |
窓を開けたら、
ひんやりとした風がスーッと入ってきたから
やっぱりもう秋なんだねー!
昨日「伝心柱マガジン」でもご紹介した漫画
「野田ともうします」を
もう一度読み返してみた。
おもろいねえー!
なぜオモロイかというと
主人公の”野田”さんが、
自分という人間のプリミティヴな”全体性”を
失っておらず、
彼女の周りを分裂した破片で生きてる人間が
うろうろしているからで、
野田さんはみんなから浮いてる
わけが分からない
行動が読めない・・・人間だけど
野田さん自身は一貫して
自分の心の全体性に依拠して
生きてるから
とても安定しているし
悠々である。
悠々であるから
他者との距離は
敬語で取ってるし
また
心に余裕があるから、
同級生のバカ女に
「野田さんてチョー便利」」とか
「メタくそ使える」なんて言われながら
他者に頼まれても
拒んだりしない。
たぶん頼まれたことも
野田さんの中では自然に
データー化していくだろうし
頼んだほうは、楽をして、
損ばかりしているはずである。
この野田さんをめぐる風景は
今の人間社会そのもののような風景で
分裂して、破片化した人間が
自分らこそ時流に乗っていると勘違いして
はびこり、逆に
全体性を保とうとする人間を
こばかにしている。
それは単に周辺的人間関係だけでなく、
政治の世界も
経済世界も
教育の世界も
文化の世界も
おそらく主流とか時流とか
中心軸に近い人間のほうが
破片化がすざまじいと思いますよ!
どうしてかというと
先鋭しかしていかないと
中心にへ近づけないし
脳は先鋭化してしまうと
そのほかは
ほったらかすからね!
つまりどんどん目先しか見えなくなるんだね。
先鋭化したことを相対化して
そこから抽象化し、
普遍化していく作業をできる人間は
知能が高いんだけど
まあー
〇〇万人にひとりくらいじゃーないのかしら
そういうことができる人間は・・・・。
だから圧倒的多数が破片化し
それでファッショ化しては
崩れる・・・っていう
今の世論とか
社会現象の軽薄、浮遊化そのものだと
おもいますよ!
赤ん坊のころの人間は
混沌という全体性をもって
誕生してくる。
しかし生育される中で
その全体性はどんどん切り崩されていき
分裂していく。
本当はなにがあろうとも
自分に依拠して生きられれば良いのだけれど
どんどん親及び他者の介入によって
切り崩されていくんだねえ
でもね
生命のすごいところは
常に全体性を取り戻そうとする。
だから人間は苦しんだり、悩む。
その苦しみや悩みの解決を
愚かなことに
その破片社会や、所属する集団の規範や
道徳や常識?ってものに合わせて
はかろうとするから
いよいよドツボに落ち込んでしまう。
そうじゃないねー。
一回、群れをはなれて
集団から
市民社会から抜け出して
よーく
見るといいね・・・。
自分のなかに自然にながれるもの
自分の中でほっと安心すること
自分の中でストンと納得できること
などなど
自分に聞くといろいろあるでしょ!
ああー”野田さん”の事から
ここまで来ちゃったけど!
たいがいの人が
破片でいきようとしているから
悩むんだよ!
って
言いたかったわけです!
では。
『伝心柱マガジン』も
やってます。
よかったらどうぞ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
けど、やっぱり、浮いちゃってるな・・・とか、損してんじゃないかな・・・とか、こんな私の影響を受けながら育つ我が子たちは、同様に損を感じて生きて行くのかな?とか、そんなふうに思う時があるから、野田さんほどに野田さん化してないんでしょうね。
潔く、開き直って生きて行きたいです。