シリーズ「残念なひとびと」・・・ダイ、 大、 だぁーい、ナンセンス! |
もともと動物であった頃の
本能的なものとしての
不安や怯えもあるでしょうが、
ほとんどが幼児期のローカルな環境で
思いこまされてしまったことだとは
何度も書きました。
その情報源である
親やそれに類する人間達の中にあった
マイナス情報が
無意識から無意識へと手渡れ
人によっては
いつも自分が
他人や社会、地域社会から
見張られているように
思い込んでいる人も
いるかもしれません。
いや
多くの人は
他人の目が気になり
気にしながら生きているでしょう。
しかし
それもね
実は自分の脳が思い込んだものを
瞬時にシュミレーションして
〇●に思われえていないだろうかとか
きっとみんな
〇●に思っているに違いないとか
〇●に誤解されたらどうしようとか
もうさんざんにシュミレーションをしては
あたかも
それがほんとうのことのように
思い込んでは
自分の内部から
自分をおどし
自分を縛り
最後には
被害妄想になって
いきます。
そして今の日本の”世間さま”もそうですが
そういう
検閲シュミレーションを
共同化して
ついには
共有しながら
お互いを縛る・・という共依存で
生きており、
そういうところから
とっくに外れてしまった私などは
いうなれば
村八分の憂き目を見るところでしょうが
ナ―ンも
問題なく、被害も起きず
むしろ
はればれと
自由に生きております。
人間は日々自分のことで
せいいっぱいで
他人様のことなど
あまり興味はないのが
実情です。
そんなこたぁー
自分の事をよくよく観察していれば
わかるんですがねえー・・・!
昔の人は良く言ったもんで
人のうわさも75日
それも
ほとんど娯楽がなかった頃の
話で
まあ現代のスピード社会では
1日2日かという程度でしょう。
人間が噂をしたり
そういう噂で
社会的に罰を加えようとするのは
市民社会の中で
善人の仮面をつけて生きることの
反動としてできる
シャドウの毒の
カタルシスとして
そうなるのであり、
ただそれだけのことです。
自分の中にたまった
シャドウといいますか
毒が時折
他人に対して
攻撃的な感情をむけては
カタルシスするため
他人の落ち度や
他人の欠点
他人の弱点を
見つけては
自分の毒や汚れおとしの
悪口を
思い浮かべているのですね。
まあー
思い浮かべているだけでは
苦しいから
実際に言っちゃえば
いいのですが、
善人の仮面をつけている人は
悪口を言う自分をまた検閲して
責めますから、
救いようがなくなっちゃうよね。
有吉君みたいに
それを自分の芸として
刺せば、刺しかえされるのを
覚悟しているなら
別ですが、
そういう覚悟もないひとは
ただ自分の毒の捨て場に
悶々とするのでしょう。
しかしそれも
自分が自分を
縛り、
否定したり
罰したりしているのが
他人に投影されているだけの
ことですから
そういう堂々巡りの
脳内検閲の
エネルギー浪費などやめて
自分の中にある
被害者意識や
自分を脅している
他人の目などは
自分の脳に何が書きこまれていて
自分は
何におびえているかを
つきとめて
さっさとそれを捨ててしまった方が
どれほど
生産的かと
思います。
そうは言っても
ネット社会のなかでは
そのはけ口行為が
たくさんあって
そういう
未成熟な人間達が
カモになる人間を
捜しているのでしょうが、
カモになる人間も含めて
未成熟な幼稚な人間が
そういう社会を
おたがいどうしで
造りあっているということだと
思います。
だから
そういう”共依存=狂依存など
さっさとやめて
他人の目など
気にせず
スタスタと
自分独自の道を
創造していくことだと
思います。
不安や
怯えなども
『正体見たり 枯れ尾花 』で
自分がしっかりしてしまえば
取るに足りません。
ただ
身体の神経組織が
不安や怯えに
過剰反応してしまったことは
なかなか取れませんから
怯えや不安がきたとき
「大丈夫だよ」と
身体を安心させるように
言い聞かせれあげることですね。
私はつくづく
他人の文脈におどらされて
いきるなんて
大、大、大 大 だぁーい
ナンセンスだと
思います。
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
私は日本を離れて久しく、ネット社会もほとんど知らないのですが、まさに自分に当てはまるところが多いです。
批判されることにたいしての怯えでしょうか。
確かに、ヨーロッパ社会で生きているときには殆ど出てこないタイプの怯えで、日本社会と接触するときによく出てきます。未熟で傷つきやすい私がいます。
外界は自分自身の投影であることが、この数年実感としてわかってきました。
じーっと、自分が怯えているものの正体を見つめたいと思います。
スタスタといくために。
本当にありがとうございました。