シリーズ「残念なひとびと」・・・成功禁止令を解いた野村克也監督! |
あゝーこりゃダメだ・・またやっちまったと
思った。
又やっちまったとは
私の弱点で、
人が良すぎることです。
人が良すぎるとはきこえがいいけど
人が甘すぎる・・・ともいう・・・笑!
どういう事かというと
他者と関わるとき
私はその人間の可能性のほうに
シフトを置いてみてしまう傾向がある
だからつい
成功禁止令が
強くかかっている人間に対しても
可能性の方ばかりみてしまい
甘くなるが
現実はそうはいかない。
成功禁止令がかかっているかぎり
成功しないのであり
それがかかったまま
本人がガンバって努力しても
成功しても胸のすくような
せいこうではなく
まっいいか・・という
成功で終わる人たちである。
こういう人ととは
もう関わらないようにしようと
思いつつ
また関わってしまった。
なぜかなーと
自問すると
答えあり、
それは
私自身の中にまだ
成功禁止令が
かかっているからです。
ああーっと
さっそく自分の中を再点検
ありましたねえー!
これをとらなくちゃー!
成功禁止令のかかっている人は
意識は成功したいと思っているのだが
無意識では
成功したくないと思っている。
そういう人は
なにかことを為すとき
成功するイメージより
マイナス要因ばかり
探す。
圧倒的に自分が成功するのではなく
まず
マイナス要因ばかりを
ほじくりかえして
そこを埋めることに
エネルギーを注ぎこみ
結局
エネルギーをそちらで使いはたす。
ほんとうは
成功するためには
全エネルギーをそちらに
注ぎこまなければならないのに
まるで反対の
マイナス要因ばかりに
興味も意識もいってしまい
それだけで
へとへとになり
まっいいか・・・と
なってしまうのである。
つまり
自分を信頼できず
他人も信頼できないから
まず最初に
自分のリスクから
入ってゆく。
あゝ他人は私の
お手本です。
私は自分で温めている
あるプランがあるのだが
一昨日あたりから
そのプランについての
マイナス要因ばかり考えていたので
それを取っ払うことにした。
先日中島らもさんの
シャドウについて
書いたが
シャドウ性が強い人も
強力な成功禁止令が
かかっている。
シャドウは強烈に
自分にブレーキをかけて
ついには自分を
がんじがらめにしてしまう。
しかし自分の中のシャドウに気が付き
それを懸命に克服して
成功したひとがいる。
それは
野村克也監督で
彼は自分の中にある闇の世界を
熟知しながら
光をめざしていったと
思います。
シャドウと言えば
暗くてマイナスのイメージを
持つかもしれませんが
だからこそ
シャドウは
アタマがいいです。
自分の中の傷
つまり人間の中にある
様々なマイナスイメージを
知っているから
なかなか楽天的にはなれないが
しかし頭がいいから
ちゃーんとめざす光の世界があり
そこへと
すぐには目標に直進せず
廻りの外堀から埋めて
一歩一歩前進してゆく。
シャドウ及び成功禁止令が
かかっている人は
いつも外堀を埋めることばかりに
エネルギーを使い果たすが
野村氏の場合は
チャ―ンとそこか抜き出すまでが
シュミレーションされていたように
思う。
彼は少しずつ
光を浴びながら
足場を固めていったように
私は思います。
野村さん自身の無意識には
成功禁止令と戦い
その戦略と戦術が常に
考察され
まず
自分の等身大から
確実に手に入れることができうる目標を
常に定めながら
目標を一段ずつ
コツコツと階段を上って行ったからだと
思います。
そしてその時野村氏は
ちゃーんと
自分の目の前にある
まぶしい
光の子を見ていたからです。
その光の子とは何かは後程
明かしますが・・・・。
野村監督を見ていると
この人はほんとに頭がいいなあーと
思います。
まず相手をじっくり観察し
相手の事を見きわめていき
それから
その人間と自分と距離や
可能性を設定(計算)していく。
そして自分の廻りには
自分の欠落を補てんしてくれる人間を
配置してゆく。
成功禁止令にかかっている人は
なんでも自分ひとりでやろうとし
廻りにいるじぶんにとって
価値のある人を
見分けられない。
野村さんは
たぶん
いつも中心ではなく
ちょっとそれた片隅に
自分を置いて
でも
最初は
底の位置に自分を置いて
底から
全景を見上げながら、
人間をよーく洞察して
他者を巧妙に使いわけ
自分の欠落を補てんしていったと
思います。
そのいちばんいい例が
彼の奥さんのサッチーさんで
この人は野村さんに一番欠けている
通俗的な欲を体現しています。
つまり
"成功欲”みたいなものを
ギンギラギンに
持っている人で
私はサッチーさんを見るたびに
たぶん野村さんは
見てくれはブサイクですが・・・(すみません)
こころが
綺麗で純粋なんじゃーないかなーと
思います。
だから
サッチーさんの
通俗性が必要だったんだろうと
思います。
さてシャドウの野村さんがいつも見ていた
光の子は
長嶋茂雄さんです。
この人はもう、はなから
自分が成功するイメージしかなく
自分のすべてを
そこへと収斂させ
常に自分中心で
成功することなど
当然の当然という風に
生きていたと思います。
成功禁止令など
かかっていません。
彼の頭の中には
常にスターとしての自己イメージがあり
たかだか帽子の事でさえ
どうすれば
打った瞬間に帽子がずれて
かっこよく見えるかなんてことを
考えていたらしいですから・・・笑!
素晴らしい!
彼はいつも
世界の中心にいて
世界はいつも
彼のためにありました。
でも
たしかサッチーもそう言って
世間の顰蹙をかったんでは
なかったですかねえー!
長嶋さんには
自分が失敗して
暗闇に落下するなんて
考えもつかなかったと思いますよ・・。
そして
長嶋さんが
じくじくと闇を生きる野村さんを
目標にしていたとは
考えれませんが、
野村さんはいつも
自分のじくじくから脱するその先に
長嶋さんを見ていたと
おもいますよ。
だからこそ
野村さんは
ついには闇(シャドウー)の世界を脱し
光の中にも
入っていき、
数々の成功を
成し遂げていきました。
素晴らしいです。
しかし
闇をみることなど
思いもつかなかった長嶋さんは
どうでしょうか・・・?
わたしには
今の長嶋さんの姿は
とても成功とは
思えないです。
勿論過去の栄光は
ピカピカですが。
もし長嶋さんが
自分の中に欠けているものとして
他者の中のシャドウ(闇)を
見ることができたなら
理解することが
できたなら
長嶋さんはとても優秀な監督に
なることができたと
思います。
長嶋さんは日本人には
まれにみる
光の子です。
光を全身に浴びていた
若いころの彼は
ほんとにまぶしかったです。
しかし
人間の知恵や知性を造るのは
シャドウです。
つまり
苦しいことや
辛い時こそ
人間の脳はフル活動し
出口を見つけ
そしてジャンプして
いきます。
その時
不安を克服するための
考察力が
必要です。
そうやって
自分の中に
複雑で重層なデーターを
集積しては
それを次へと
展開してゆきます。
たぶんそういう
野村さんが成し遂げた努力を
長嶋さんは
さぼったかもしれませんね。
野村さんには
どんどん知力がついてゆき
ついには
”知将”とまで
よばれるほどになりました。
きっと本人のなかは
充足されていると
思います。
それも
野村さんが
月見草でも
月をみており
月見草の美しさも
知りつつ
月の反対側にある
太陽に恋をし
いつか太陽の中で
燦々と咲く
ひまわりになりたいなあーと
自分の成功イメージのビジョンが
明確にあったからだと
思います。
その明晰な頭は
きっと
自分の中に欠けているものを
補填し
自分のブレーキを
解くことが
成功へとつながると
確信していったでしょうし
だからこそ
大衆には迎合せず
大衆に消費されず
いまの
野村さんがあるのだと
おもいますよ。
人間はすべて公平だと
私は思います。
しかし光の中に生まれても
闇の中にうまれても
そこから出発して
最後は光も闇もみーんな
自分のための肥やしとして
成功することだと
思います。
そして
成功するとは
まっいいか・・の自分ではなく
自分を味わいつくし
自分の隅から隅まで
生き尽くした
充足に
満たされることだと
私は思います。
だから
私もさっさと
成功禁止令の滓を
すてて
楽しく自分のプランを
進めていこうと
思います。
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
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● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!