シリーズ”風のエッセイ” 親こそ人生を謳歌する・・。 |
かなり厳しいことを書いたから
今日はエールを送りましょう。
言わせてもらえば親だって
ナ―ンも知らないところから
親になってしまったのだから
初めからどこが間違っているか
何が問題なのかわかっていたら
そうしたのだが、
今更どうのこうといわれて
こまるよねえー!
親も人間だから
間違いだらけの未熟者で
人間はそういう自分をいきるより
ありません。
しかし
親として最後にとても重要な役割があり
そこさえクリアすれば
今までの失敗のほとんどが
帳消しになることが
あります。
それは
親自身が
どのように死ぬかです。
いや
死んでみせるか・・・です。
親の死にざまほど
子どもにとっては
大きなお手本で、
いろいろあって
失敗や挫折や
おおきな間違いもしたけど
それでも
親が自分の人生を
最後は
謳歌し、堪能し
そして充実して
満たされて
生を感謝し
人生をやりきって
死んだなら
その姿をみて
子どもも
これからの長丁場を
生き切る勇気が
湧いてくる。
反対に
愚痴と不全感と
人生を恨みながら
死んだ親の姿は
子どもに生きる絶望を
与えるだけです。
たとえ今
親がたいへんな状況でも
癌や不治の病でも
それでも親が
自分の人生を諦めず
むしろ
今までの自分の生きかから
ぐるりと転換し
楽しく
そして自分に優しく
自分の思うとおり
自分を解放して
自分のやりたいことをやり
逆にやりたくないことは
やめて
欲しいものを手に入れ
食べたいものを食べ
一日いちにちを楽天的に
オモロク生きたら
きっと
免疫もあがるし
生きる喜びも
手に入ると思いますよ。
自分の最後を
満たされて、感謝して終わるのと
うらみつらみで終わるのとは
月とすっぽんほど違い
そこにこそその人の価値が
顕れてきます。
自分という種を
どう育て
実らせ
そして
その実りの種を
子どもらに
渡す!
そういう風に命は循環してゆく!
自分は自分だけで終わるのでは
ない。
大きな命の循環の一点を
担っている。
すべてがプロセスのなかにあり
だから
自分の在りようは矛盾だらけ
間違いだらけでも
いいんです。
大きな循環の中で
命がバトンされながら
それは少しずつ浄化されて行くのですから。
どうぞ
親として
人間として
満たされて
満たされて
更に幸福を味わい尽くして
ゴールです。
さー
自分が解放されるとは
自分が満たされるとは
考えなくてはいけませんね。
その時
普通に考えないでください。
常識とか
規範とか
いわゆる
世間的な既成観念を超えて
考えてください。
極論すれば
ほんとに
好き勝手にしていいんですよ!
ほんとうに
自分が
すっとする
せいせいする…ところまで
掘り下げて
考えてください。
親とは子供を
この世に送り込んだ責任があります。
その責任とは
まず
親自身が
自分を救いだし
人生を楽しくやりきることだと
思います。
『伝心柱マガジン』