シリーズ”風のエッセイ” 片づけられないとは! |
”片づけ”についてのご相談を受けましたので
今日は片づけと深層心理について
書いてみます。
実をいうとこの私も若いころは
片付けが出来なくてもう
家じゅう散らかしっぱなしに
なっていました。
当時の私は
外で行動することの方ばかりに
気持ちが行き
家に帰るともう精根尽きてしまい
めんどくさいことをやる気が
起きませんでした。
人によっては子供の頃から
片づけることを学習して
身についている人も
たくさんいるでしょう。
そういう人は
片づけることなど
なんの負担にも感じないで
さっさと手際よく片づけられると思いますが
片づけないではいられないとなると
これもまたそこに深層心理の不安が
張りついています。
脳は同じことをやり続けると
最初は億劫でメンドクサイと
思っていても、
その回路さえできてしまうと
今度はまったく難なくそれを
やることができます。
まあー自転車乗りと同じで
最初はいろいろ転んだり
なかなかバランスが取れませんが
少しずつ体が覚えてしまうと
もうごく自然に無意識にペダルを踏み
自在に走ることができるようになります。
同じようにメンドクサイと思っていても
片づけを何度もやるうちに
それはだんだん身についてきて
片付けが苦にならなくなります。
まあそういう単に片付けのやり方が
身についていない場合は
意識的に片づけ上手になれば
いいのですが、
片付けられない事の裏に
心理的な問題がある場合は
片づけそのものが
恐怖や不安であったり
それが堂々巡りのようになって
そこから抜け出られないと
なにかやりたくない動機が
潜んでいたりします。
おおきな原因のひとつが
共依存により
分離や自立が出来ていないために
現実生活が
団子のようになっていて
物が見えていない状態で
心の中の感情が整理されず
団子のようにしこっているか
或いはカオス状態のように
混沌としていて
なにが問題かが分からず
自分が解決不能のなっていることが
考えられます。
特に人間関係
親子関係や
対人関係で共依存の人は
外的世界ばかり優先し
他人に気をつかうとか
他人の心を深読みすることばかりに
神経とエネルギーを使い
またその反動で傷つきやすく
自分をじくじくいじくることばかり
してしまい
そこでへとへとになるため
モノ、物質の扱いまで神経が廻らず
エネルギーもないため
めんどくさくなり
乱雑になり
ましてや片付けなど
もういいいや・・という
片づけ放棄になってしまいます。
そして幼児時代
子供時代
自分がやりたくないことばかり
やらせられた人は
心理的に
めんどくさがり屋に
なります。
そういう人は
やりたくない事ばかりやって
自分がいつも徒労や不毛であったため
大人になった時
まず、そういう事のわずらわしさや
かったるさが
先にきて
意欲を失うのです。
またいつも自分を犠牲にしてきた人も
物事を深刻に考えすぎて
意欲や行動に
ブレーキがかかってしまい
無気力になってしまいますから
まして片付けなど
放棄したくてたまらないでしょう。
こういう人はまず
自分の心理的原因を
突き止めること。
そして
そこに起きる感情を
解決する必要が
あります。
私の場合もそうでしたが
或る時から
自分の心の中を整理し
しこっている感情の原因を突き止め
解決して
それから
自分の人生をどのように
生きたいかを考えました。
(イメージしたともいえます。)
その上で
いらないもの
いらないこと
いらない人を
捨てて
自分も
生活も
どんどん整理する中で
片づけもできるように
なりました。
大胆に捨てましたよ・・・笑!
人間というのは
限界つきのエネルギーで
せいぜい生きても7,80までで
時間も限られています。
そのかぎられたエネルギーと
時間を有効に使うには
まず自分が動きやすく
なるべく最小限のもので
効果的にいきるためには
人生の優先順位をきめて
自分に必要な物、人だけをそろえ
生活をシンプルにしたほうが
うんとらくになります。
物を捨てられないのは
そこに執着や不安があるからで
それはうしなうことが
決定的な喪失になる・・・と
つまりうしなったら
二度とは手に入らないと
おもいこんでいるからだと
思います。
余談ですが、
そういう人は他者とトラブルと
それが決定的になると
信じている人です。
トラブルになっても
それはいくらでも解決の道があるのに
それを知らない。できない。
つまり常に問題を解決しながら
生きる…という事を
教わっていないのでしょうね。
人間の心はすべて
ものに投影されていると
何度も書きましたが
実は人間は常に変化し
進化していますから
その変化とともに
ものにたいする必要性も
変化しているはずなんですよ。
しかし
以前も書きましたように
変化しながらも
人間の体は現状維持を保とうとしますから
どうしても
自分が変化しているという認識より
変化することへの不安や怖れが
起きてきます。
現状の自分を喪失する・・ことへの
不安です。
つまり意識がいつも過去ばかりへ
向いているから
執着するとも
いえます。
たいがいの人が
自分は常に新しく
そして
そのあたらしい自分にそって生きれば
いいことで
万が一失っても
その状況に対応、対処できる自分が
いる。・・という
認識ができないで
います。
自分を信頼していれば
人生は何とかなるものですよ。
よくよく考えてみれば
わかることなのですが
自分が執着していることなど
せいぜい長くて1年か2年もすれば
すっかり忘れたり
いらなくなったりしていると
思いますよ。
まあ仕事上の資料とか
なにか持続性をもっているものは
別ですが。
日々の生活の中の雑物は
ほとんど抱え込まなくても
いい物でしょう。
まあ
あとから必要になればその時また
揃えればいい・くらい大胆に
捨てられれば
合格です。
たいがいのものは
とっておいても
無駄になるか
あまり役にたたないと
思いますよ。
私は本なども
野菜や食物と同じで
よんだら捨てます。
野菜を食べて
栄養をもらったら
それで終わりという感じです。
自分がほんとうに好きか
どうしてもそばに置きたい本以外は
もう二度と読まないから
捨てます。
いらないものを
どんどん捨てて
生活をシンプルにし
雑用を短時間に
始末し
自分のための時間を
増やす。
へやがシンプルなる
生活がシンプルになるということは
自立していく過程と
重なります。
つまり
人間は
成熟するにつれ
物質はあまり必要なくなるのですね。
自分の内面、内側が満たされ
熟してくるにつれ
欲望や欲求の欠損が
無くなりますから
自然に身軽になります。
そして最後
身一つで
死を迎える。
どうしても片付かない人は
物事を
ゆっくりやる…という事を
実行してみてください。
そしてコツコツとゆっくり
やる。
一挙に片づけようと
思わない!
そして執着を捨てて
こだわりから
解放されて
どうぞ
気楽な人生を
楽しんでください、
『伝心柱マガジン』