シリーズ”風のエッセイ” 茂木さんとワーグナー! |
特にベートーベンとワーグナーが好きな人は
スルーしてください・・・笑!
茂木さんの本を読んでいて
どうしても解せないことが
二つありました。
ひとつは先日も書きましたが
テレビなど大衆への露出が
多すぎること。
どうしてこんなに出たがるのだろう・・・・という疑問?
もうひとつは
ワーグナーが好きな事・・??
しかし先日の講演ビデオで
なーるほど・・・と
謎が解けました。
ベートーベンとワーグナーは
共に偉大なる作曲家であります。
私は高校生の頃はベートーベンが好きで
心酔したこともありますし
今も交響曲№7などは
今でも惹かれます。
しかし
今の自分はブラームスやドボルザークのほうが
好きです。
そしてワーグナーに関しては
若いころに
音大生という義務で
聞きましたが
ほとんどこころが向きませんでした。
そして今この偉大なる作曲家二人に強烈に
共通するものとして
二人ともが
理想主義や人間の救済をテーマにしていますが
実は
その裏にある
権力欲・・・・を
私は感じてしまうのです。
ご存知のように
ベートーベンは
キリスト教が大嫌いで
それまでの
宮廷と教会の権威、権力下にあった
音楽を大衆へと解放しました。
ワーグナーも
出来たら
”さまよえるオランダ人”を解析しながら
解説しようと思いましたが
それちょっとしんどいので
省略しますが
テーマは
宗教からの人間の解放と救済です。
が
二人の音楽を聞いている私は
どこか彼らの押しつけがましさを
感じてしまうのですよ。
まあそれは
私だけのことかもしれませんが・・。
しかし
心理的に分析すると
彼らがなぜ
人類愛や
神に見放された人間の救済を
テーマにするかというと
勿論歴史的な必然も大いにありますよ
しかし
そこには
大衆に支持されたい自分
故に
大衆に介入したい
或いは
その先頭に立ちたいという
ふたりのシャドウが
見えてきます。
私がなぜブラームスやドボルザークを
好きかというと
そこには
ほんとうに
音楽が好きで
素朴に自分の心を
音楽へ託した人間が
私自身と同じ地平にいて
共感はしても
けっして私には
圧力をかけてこないからです。
しかし
ベートーベン君も
ワーグナー君も
ひたすら音楽が好き…というより
自分の思想や
妄想・・・こういうと彼らのファンに袋叩きに会うでしょうけど・・・を
つまり虐げられている
自分の復権を
音楽を武器にして高邁なメッセージへと
加工し
それを
展開し大衆操作の中で
自分を
認めさせようか・・という
逆立ちした
彼ら思惑や
権力志向が
すけて見えてきます。
つまり彼らも
私たちと同じ
悩める人間なんですね。
ああーべートーベンのファンに
殺されそうですねえ・・・・!
勿論彼らの中にも
熱い人間愛はあったと思いますよ・・・・
でも
ねー、
私の学生時代の親友もワーグナーが
好きで好きで
彼女は見事に
合唱指揮者へと
のめりこんでいきました。
つまり
合唱大衆を指揮する(コントロール)することが
快感でたまらなかったのだと
思います。
べートーベンはその生い立ちと
音楽歴において
父性=権力と権威に対する
強烈な憎しみがあったと
思います。
それは彼にとって
倒さなければ
自分が成立できない
深層心理として
あったと
思います。
その裏返しとしての反権力で
権力と反権力は
”権力”をめぐって裏と表の関係にあり
反権力者が権力を握ると
今度はものすごい権力者へと
変貌します。
ベートーベンはその辺を
自分の曲に組み込んだと
思います。
ワーグナーの生い立ちについては
あまりよくわからないのですが
ただあのヒトラーが
ワーグナーが大好きだったように
ワーグナーの音楽の舞台建ての
壮大さや自己陶酔はそこにやはり
倒錯した権力志向を
感じます。
ただベートーベンはそれなりに
格闘し浄化されたものも感じますが、
ワーグナーのほうは
なんかちょっと
そこの格闘を逃げていて
だからその分
俗っぽいかなーと
私は思いますが・・・。
そして
そ根底にあるのは
大衆からの疎外感だと
私は思うのですが
どうでしょう・・・?
ベートーベンも
ワーグナーも大衆を
信頼していたのかなあー!
なぜならば信頼していたなら
大仰な物語も
大言壮語な
人間愛も
あまり必要ないからで
自分の等身大そのままを
さしだせばいいのです。
聴衆(大衆)を思想教育する必要など
ないはずですからねえー・・・。
まあ時代的にも
宮廷、教会の権力が墜落し
市民が主役となる時代の始まりですね。
その中で
人類愛や衆々の救済をテーマに
大衆をコントロールして
その先頭に自分が立とうとする
シャドウ・・・。
で、
そういう線の延長上に
茂木さんがいるとは思いませんよ。
なぜなら
ベートーベンやワーグナーの深くネバネバした
執念深いシャドウに比べたら
茂木さんのシャドウは
赤子というか
少年の暗さという程度のものだと思いますよ。
それに茂木さんはとても内省的であり
フランクであり
そういう
権力志向など
しないひとだと
思います。
ただ
あまりに大衆へと介入していく
その心理の裏には
彼の幼児期
小児時において
大衆からの疎外感や
孤立感があったのではないかと
私は思ったのです。
だから今
そこに
なんとか橋を架けたい・・という
深層の願望が茂木さんを
突き動かしているように見えます。
同時に
大衆をなんとか
脳科学的に目覚めさせたいという
茂木さんの格闘が
あるのだけれど・・・・、
しかしまだまだ
言葉を言いきってしまえず
言いっぱなして
大衆を
突き放すことができない
彼自身の葛藤を
見ます。
茂木さんの中で
脳科学はもしかしたら
人間の救済であり
また
それは人間に対する
熱い求愛なのかもしれませんね。
しかし
ほんとうに人間を信頼していたら
介入せず
ほおっおいて
いずれ機は熟することを
待つでしょうから
やっぱり
そこが
信頼できず
介入したくなってしまうのでしょうねー。
でもね
ダントツに優れた人は
みんな孤独ですよ。
理解されるはずがないんです。
いつかその孤独を茂木さんが
しっかり
受け止めて
動かなくなったら
逆に
大衆は
茂木さんの言葉と行動に
敬意をはらい
おろそかには
しなくなると
思います。
いずれにしても
私は
この稀有な学者を
心より
尊敬します。
そして
脳科学に覚醒する人が
たくさん生まれることが
この社会を健全にしてゆく
ひとつの道だとも
思いますので
引き続き
彼を応援します。
「伝心柱マガジン」
今は、あまり興味がなくなりましたが、今日のブログを読んで懐かしく感じました。
私は小学校と中学校の9年間をクラスの学級委員として過ごしました。それが自慢でもありましたが、他の子供とは違うという疎外感も感じていました。やはり不良にも憧れました(笑)
田下さんが仰るように、越えて行けたら、こだわる必要がなくなるかもしれませんね。
ひとまず今は、こだわりをまだ抱えている自分を受け入れようと思います。
久々に食事会に行って、頭が興奮して眠れない夜です。長文失礼しました。