シリーズ”風のエッセイ” ワーグナーさんもショパンさんもとかげさんもゴキブリさんも |
ベートーベンさんや
ワーグナーさんの悪口を書いているけど
でも
ワーグナーの事で
ウキぺディアを見たら
その写真の向かって右眼
つまりワーグナーの左眼は
感情が解決されていない
激しいものが
ありました。
右目も穏やかではありませんから
彼はずーっと苦しかったかも
しれませんねえー!
ショパンなんかも
左眼は感情の激しさの
名残がありますが
右目は明らか
悲しそうで
諦めた目になっています。
こうして
有名な作家でろうと
なかろうと
その人々も
私にとっては
”自分をなまなましく生きた”人間の
ひとりであり
そのことに於いては
すべての人間と並列に思います。
私にとって
人間は
生命という働き、
人間という働き、をしている
いきもの
です。
そして意識も感情も
その
働きの一つであり
その働きという一点に置いては
人間も
他の生き物も
植物も
天体も
すべて
平等といいますか
同じなんだと
思います。
つまり現象として
人間も
その他の生き物も
植物も
星も
あり
つまり
私という人間も
我が庭によく来る
トカゲ君も
台所に出入りする
ゴキブリ君も
同じだと
思うのです。
彼らと違うと
人間が思っているだけで
彼らからすると
それは人間の思い込みでしょ・・と
いうことなんだだと
思いますよ。
人間の意識が
すべてを人間の文脈で
推し量り
どうのこうのと
価値づけをし
説明をしているだけで
人間の意識の外側には
そういうものなど
まったくお構いなしの
生命の現象があるだけです。
つまり
自分と言う意識は
脳の前頭ネットワークの
働きとして
自分に
自分と外部との関係を
自分に説明する機能としてあるだけで
それも自分だけの完結した世界での
思い込みです。
しかし
人間はいつのまにか
その関係性そのものから
脅かされて
しまっている。
しかも
その意識の醸し出す世界が
すべての世界へと通じるなんての
勘違いもしていて
ゴキブリや
トカゲ君や
庭の花たちから見ると
自分達と同じように
生命を授かり
生命の現象(はたらき)を
いきているに過ぎないのに
へー、
にんげんって
自分でかってに妄想の中に入り
おたがいを
その妄想でしばりあって
争いあって
大変だねえ・・って
思われているかもしれませんね。
そういう事を
今日考えていたら
やはり
自分と言う生命を授かったんだから
それをいかすも殺すも
じぶん次第だなーと
思いました。
そう思うと
自分の人生を
どう創造していくかだなあー・・・・と
思います。
でも
自分の生き方をイメージするには
どうしたらいいんだろう・・・と
考えるてるうちに
頭に浮かんできたのは
死ぬ時の自分の姿にこそ
それがある・・・・・。
つまり
死ぬ時の自分が
何に満たされているか・・・が
イメージできると
そこから
今の自分が
なにをしたらいいかが
見えてくる・・・・と。
もうあとどれくらい生きれるか
わからないけれど
たいせつに
生きたいですねえー!
]『伝心柱マガジン』