吉本隆明・茂木健一郎「すべてを引き受ける・・という思想」! |
『「すべてを引き受ける」という思想』・・・の本を
今朝読み終えた。
私は若いときから
吉本氏の本はかなり読んでおり
今回も”ホスピス”や”ボランティア”に関しての
見解などは
ほんとうに激的少数派・・・であろう私にとって
あゝ、やはり氏も
そう考えていたか・・・と
正直、うれしゅうございました。
この本は
若い弟子(茂木健一郎氏)が
老師に教えを乞うているような感じで
吉本氏の思想がかなり
分かりやすいので
ご一読をおすすめします。
吉本隆明氏の思想の通底に流れるものは
思想をかたる言葉を
端的、完結,明解にさらに
断定して
押しとどめようと
せず、
どこか一方を解放して
語ろうとしているところに
あります。
思想の広々とした中から
それらしい言葉を
そうではないか・・と語りながら
しかし、さらにその先もあるよ…という風に
窓のどこかを
開いているのである。
その大きさにいつも私は
自分で考えなければならないことを
突き付けられるとともに
そこからさらに広がる思想への可能性に
惹き付けられては
自分なりの糸口を教えてもらったと
思います。
これに対し
吉本氏には
遠く及ばないが
私はおおいなる思想家吉本氏とは逆に
いつも
断定的に語ることを
心がけてきた。
なぜなら
人間の心理において
いろんなことが錯綜し
混乱し
混沌とする中から
いちばん筋のところを見つければ
解決の糸口が見つかります。
それは
断定することで
逆にそれが必然的に心理が動きだし
整理されると
私は思っています。
なぜなら
曖昧に、
どうとでもとれるような表現ではなく
断定することによって
その苦しさに反応する・・ことがおきてくるからです。
その動きだすことで
様々な事の対比が起り
そこから、解放の隙間が
見えてくるからです。
断定されれることに対して
抵抗感や
嫌悪感
さらに否定的な感情が起きると
その断定は
かなり当たっている・・・・。
しかし
ナ―ンも反応が起きず
すらーっと通り過ぎていくなら
その断定は本質的ではなく
当たっていない・・・・。
つまり断定…というきつい言葉の枠を
苦しい…と思うなら
その断定をめぐっての
思考を凝らす必要がある
或いは
そこから何かを気づく必要が
出来てくると
私は考えています。
だからこのブログでは
あえて
断定的言葉を
どんどん放り投げていきます。
その断定に抵抗する
つまり
断定が頭の中に残る・・・・ということが
否応なくそこにフォーカシングがおこり
すなわち
解放へのいとぐちへと
繋がっていくと
私は考えています。
しかし
巨きな思想家吉本氏もまた
おおらかに
広々と思想を語るけれど
決してそれは
曖昧なものでもなく
断定しながら、解放している・・と
私は
思います。
若い日より
私が惹かれる人間、
賢治や
漱石や
親鸞や
良寛について
吉本氏も熱く書かれており
なぜか、若い日に私が書いた
高村光太郎に関しても
偶然にも
氏も熱い興味をもって
その評伝を
書かれている。
なにか不思議な糸を感じます。
冒頭ご紹介した本の中で
トロツキーとユングの自伝は
一級品だと語っておられ
ユングに強く魅かれて
カウンセリング道に入った私は
やはりそうか・・・と思う。
最後に茂木氏が
この対談を思い出しながら
吉本氏とのことを
書いている中で
「ああ、このひとにはかなわない」と
思った・・・と書いているのですが
思わず苦笑しました。
そんなこと
はじめから
かなわないに決まっているのに
あれっ!
茂木氏は
かなうとおもっていたのかしら・・???
このなにげない
茂木の言葉に、
彼自身は気が付いていないけれど
彼の人生の前半の自我が
まだいるのかもしれません。
すなわち
肥大化した自己幻想の
”自分さま”がいる。
もしかしたら
茂木氏はまだ自他の分離が
不十分なのかもしれませんよ…苦笑!
つまり。
インナーチャイルドの救済が不十分な場合、
前半の自分の自我が粉々になる前の
自分があり、その
自分の物差しがそのまま
スライドして通用する・・・ような
錯覚を持って生きてますから
相手の大きさがわからないのです。
もし
自他の分離ができていたら
自分と他者の違い、差異が
はっきりと分かってきます。
つまりそれができていれば
吉本隆明氏の事を
はじめから
自分などが
とうていかなわない
巨きな思想家であることを
チャ―ンと認識できますからねぇ・・。
茂木さんは
それができてなかった・・・ってことですねぇ・・・苦笑!
本を読み終えて
すこし涙が出てきました。
それは
ほんとに
数少ない、私に示唆を与えてくれる
思想家のひとりである
吉本隆明氏がもう
この世に居ない・・・と思うと
寂しいです。
ちなみにこの本のタイトル
『「すべてを引き受ける」という思想 』
は
漱石にも
親鸞にも
良寛にも
通底していたことだと
思います。
いずれも
おおきな
おおきな
ひとたちであったと
思います。
『伝心柱マガジン』