シリーズ・人間は信頼するに足る・・・往きの眼と還りの眼。 |
家では抜け殻状態になり
ほとんど寡黙で
わたしとも
話したる話をしない。
頭を使う
むずかしい話などをする気力もなく
ウンとかスンで終わりです。
それでも面白いことに
その二人が、奇しくも同じことを
考えていた。
私は私でずーっとひとりで考え続けて
これからの時代は
”知性を磨く時代”だなあー・・と
思っていたら
思いがけなくも
父ちゃんも
これからは”知”の時代がくる・・・と
自分が経営する会社の名前を
”知”の会社…という名前に変更した。
つまり時代を見据え
人間を見据え
社会を見据えたとき
どうしてか
これからの時代は
人間の”知”が必要で
”知”が磨かれなくてはならない・・・と
二人ともが
そういう思念に至ったということです。
まあ、地球全体から見れば
まだまだ物質が満たされていない国々も
多々あるが、
それでも、この日本においては
物質がいきわたり
その次に来るのは
やはり人間の精神がいかに充実されていくか・・・という
ことで、
しかし
人間の精神は、磨かないと
物資欲の中では
腐敗してゆく。
昨日書いた前頭葉、大脳新皮質は
先に獲得したワニの脳や
ネズミの脳が暴れ出すともう
もう手が付けられずに
機能不全になってしまう。
人間はまだまだ本能の方が
強いらしい・・・。
つまり人間は感情に捉われ
感情のエネルギー=興奮の
エネルギーのなかに
陥ると
理性のエネルギーは
どんどん空洞化してしまう。
なにか
どう猛なエネルギーに
蹴散らされてしまう・・・というかんじですかね・・。
だが、
もう
ワニやネズミという本能、
物質を巡る争いを
超越しなければならない時代に
入ったのだと
私は思います。
ワニやネズミの欲望を
いかにコントロールし
お互いが
理性や知性を磨いた
人間として
共感し
様々なことを
シェアーする時代に入ったと
思います。
しかし
それはまだ始まったばかりで
ひとびとが
そのことに気づいて
それぞれが自分の”知”すなえわち
前頭前野の脳を磨き始めるまでには
かなりの時間がかかると思います。
とはいえ
それでも
気づいた人・・・つまり
人間の高踏(高等)さに気づいたなら
それを”発揮できる脳”が
もうすでに自分に
備わっているということですからね、
その事実に粛然として
取り組まないとねえ・・・。
そのためには
私は
まず
自分が自分を信じきることだと
思います。
自分の中には
下等なる
ワニやネズミもいるけど
高踏なる人間
高次な世界をめざそうとする
自分(人間の脳=前頭前野)・・・も
確実にいるということです。
それは当然のこととして
自分の中にもあるけれど
他者のなかにも
あるってことです。
自分のなかに
信頼にたる自分が在る…ってことに
きづいた人こそは
きっと
他者も信頼できるようになるでしょう。
しかし
人間は感情に捉われてしまうと
猜疑心(ネズミの脳)が
たちまちのうちに
心を占めてしまいます。
自分のこころのなかに
疑いばかりを育ててきた人は
他者を
いつまでたっても
他者を信じることができず
ずーっと
ネズミの脳ばかりが
強化されていくってことです。
人間たる自分を
強化していくためには
”知”を磨く。
”理性”を磨く。
”知”を磨くことの
基本は
自分の内面を相対化して
検証することです。
つまり自分の心を
取り出して
内側わから
外側から
自分の眼から
他人の目から
よーく眺めて
それがどうなのかを
検証してみる。
吉本さんが親鸞の事で
言っていたように
行く時の(往き)眼と
帰る時の(還り)眼で
少なくとも二つ以上の眼で
自分を
見つめてみることです。
そうすることによって
ものごとそのものを
自分という
狭く
閉じられた世界から
広く、おおきなフィールドに
取りだして
みることが
できるようになります。
勿論依存している人には
こういうことは
出来ない、
なぜなら
自分の目そのものを
放棄しているのだからね・・。
”知”を磨いた人間は
だんだんこの世の中というものが
幻想だということが
理解できてきます。
あの吉本隆明さんのいう
共同の幻想です。
私的にいうと
この世は
意識と無意識の
二重構造の世界で
意識は無意識と
逆立ちの関係にあり、
無意識が
その防衛として創りあげる”虚構世界”が
意識の世界だと
思います。
だから意識と無意識とが
統合されていかないと
人間はずーっと
その二重性のなかで
苦しむ・・・・。
統合してゆけるのは
前頭前野の働きですね・・・。
だから
ほんとうのことはどうなんだ・・ということ。
これは宮澤賢治が
作品の中で
何度も
こう言っていますねえ・・・。
皆が思い込んでいることは
ほんとうに
そうなのか・・。
私が思い込んでいることは
ほんとうに
そうなのか・・・と。
そういう風に
自分を洗いなおして
ためつ
すがめつ
眺めてみる。
そういう”知の働き”が
できるように
なると
いいです・・・。
そして最終的には
そういうふうに
自分を向上させようとしている自分を
ステキだなあ・・と
優しい目で
信頼することだと
思いますよ。
『伝心柱マガジン』