山のように聳える・・・その3 私は傷つかない! |
つまり自分が思い込んだもの
思い込まされたものが
外の世界や他者に投影されて
自分を脅しにかかる。
その中でも
自分が持っているコンプレックスや劣等感が
刺激されてしまうと
それは自分が傷ついたり、怒りの感情となって
表出して来る。
だから自分が傷ついたり、
怒りが湧いたとき
はっとこのことを
思い出して
果たして自分の中のなにが
刺激されているのかと
検証してほしい。
自分の劣等意識は
常に自分を脅かしており
他人の何気ない言葉や動作で
それが反応して
傷ついてしまうのですね。
また自分を卑下したり
ディスカウントしていると
常に
自分がどう扱われるかついて
神経がはりつめているから
他人の何の意味もない態度でさえ
ふかく傷ついたり
落胆してしまう。
そして
怒りが湧いてくる。
劣等意識の高い人間は
それが翻って
いつもエラそうにしていないと
自分が保てないし、
そして
つい他人を
否定したくなってしまう。
ちょっとの事で
優越感を感じて
自分を納得させて
かろうじて
自分を保っている。
本来、他人と自分は
まったくの”べつもの”の意識をもって
生きており、
他人が自分の劣等感や
コンプレックスを
知っているわけがないのですぞ・・・。
まあ
鋭い人なら、なんとなく漠然と
わかるかもしれないが、
そういう人が
敢えて
コンプレックスを刺激するような言葉を
吐く訳がない。
なぜなら、
それがトラブルのもとになることを
知っているからである。
逆にまったくそんなことを
感知しない人間が
何気なく言った言葉に
自分が反応してしまう。
つまり自分のベースに
ナニがあるかを
自分を突き放して
見てみることが必要です。
そして大切なことは
そのコンプレックスも
劣等感も
すべて
自分が作ったものでなく、
自分がそういう風に
思い込まされたものである・・・という
認識です。
自分の責任ではない・・・から
苦しむのですよ。
だからいちばんいいのは
こんなもの、いらない・・と
捨ててしまうことですが、
しかしその意識に基づいて
からだの生体反応がもう
そういう風に
組織されているから、
そうはいっても
なかなか捨てられるものでは
ありません。
あっと思うと
ホボ自動的に自分が
そうなってしまっている。
そんなときは
こんな風に考えてください。
人間は、
すべての
人間は、
誰でも
多かれ、少なかれ、
自分の中にコンプレックスや
劣等感を
抱えているものです。
あの人が・・・?と
外からは
到底そう見えない人でも
同じです。
だから自分のコンプレックスも
劣等感も
それでいいんです。
みーんな
同じなんです。
それが人間です。
そしてね。
自分のそれに、
気がついた人は
そんなことでは
『傷つかない自分』を
付け加えてほしいんですよ。
そういうコンプレックスや
劣等感を超える自分を
付け加えて欲しいんです。
その方法のひとつは、
そんなコンプレックスや
劣等感などで
推し量られるほど
自分(人間)は
単純で、
小さいものでないという
自覚をもつこと
(圧倒的な自己肯定です。)
そんなコンプレックスや劣等感などは
自分(人間)の中の
ほんの一部分でしかなく
そんな事などをはるかに越えて
自分(人間)は豊かで
おもしろい!
(人間は誰でも豊かで、オモロイです)
自分の全存在は
そんな
チャチなものではない・・・という
自分に対する
尊敬と
尊厳を
付け加えてください。
そしてさらに
それを
常に
自分に言い聞かす。
つまりそういう風に
自己暗示をかけ続ける。
そして
毎日、祈りのノートに
『私は傷つかない!』
という言葉を
書き続けてください。
しつこく
しつこく
書き続けてくださいね。
そういう
決意と
覚悟をしっかり
頭と身体に刻みつけて
自分を書き換えていくのですぞ!
自分の中にたくさんのコンプレックスや
劣等感があればあるほど、
その人の人生は
とても生きにくく
辛いものです。
だからコンプレックスや劣等感の自分を
嘆いたり、
憎んだりするより
そういうことを抱えて生きてきた自分を
えらいなあーと
ほめてあげる事です。
大変だったねえーと
労わることです。
そして
もう
そういうことには
脅かされないから
安心しな・・・って
言ってあげてください。
そして、
人間はだれでも
同じだから
あなたも
ほんとうに
安心する事です。
それで
いいです。
『伝心柱マガジン』
今までは、水面下の発揮できていない人間の能力というものを、Evaluation systemの視点、そのスケールの延長でのみ見ていましたが、本当はExperiential systemという全く別種の機能を引き出すという意味なのかもしれません。たしかに、現実に対応できているにもかかわらず苦しみは減っているという脳の状態のほうが一層パワフルでしょうね…まあ科学データの解釈も、それ自体がひとつの物語なので、絶対の真実とまで思い込むのは危険でしょうけれど。