人生を解決する・・・ その3 |
あなた自身の優しさと人の良さが
その根底にありますね。
しかし
優しさと人の良さは、時として
問題の厳しさや
現実の冷酷さにたいして
その見通しが甘く、
また
優柔不断にも
なります。
その優しさと人の好さは
相手或いは
他者からの介入を
きっぱりと
断ることもなく
ずるずると
許してしまいました。
それと同時に
その優しや人の良さが
ホンモノではなかったゆえに
今のあなたは、相手に対する
不信感と憎しみで
いっぱいですね。
しかし
憎しみの感情にとらえられたら
そこには
自分の苦しみしかありません。
それに
あなたはもう
十分苦しみました。
そして
相手も
あなたと同じくらい、苦しんだと
思いますよ。
ふたりとも
もう
充分です。
大変だったね、
だから
解決しましょう。
解決するには
二人ともが
救われるように
和解の接点を
見つけ出すことです。
ただ
その和解の接点も
単に妥協する・・というものでは
いけません。
そして
お互いの
甘えや依存を許すものでも
いけません。
そうではなく
お互いのボタンの掛け違えが
なにであったかを
自分をあまやかさないで
自分を
守ろうとしないで
しっかりと
見つめ
そして
潔くそのことを認め
受け入れ
相手に伝えましょう。
そこには
ひと言も
自分を守るような言葉や
言い訳の言葉を
入れてはいけません。
もちろん相手に責任をなすりつけるような言葉もです。
これは自分に対してとても厳しいことであり、
つらい作業です。、
そして人間は
これがなかなかできません。
しかし、
そうでないと
相手の心には
響きません。
ひとことでも
そういう言葉がある限り
相手は壁を作ってしまいます。
自分のここに問題があった。
その自分の弱さが
問題を深刻化してしまい
それが
自分も相手も
深い闇の中で
苦しみつづけた原因・・・だと
はっきり
明確に意識し
言葉にすることです。
ここまでくると
もう
80パーセントは
解決です。
そしてあなたは救われていきます。
後は
相手の問題です。
相手が自分のことばかりに
拘泥するような人間なら
その言葉に反応しないでしょう。
その場合は
時間がかかります。
また、
あまりに苦しくて
相手も
なかなか自分の感情から抜け出られないなら
すぐに
その言葉を受け入れることが
できないでしょう。
相手の感情がほぐれてゆくのを
待つ必要があります。
しかし
いずれにしても
あなたは
もう
その言葉を相手に伝えられたことで
大きな一歩を踏み出したのです。
もうあなたは、出口の光を
見ているはずです。
そうは意識できなくてもね。
いったん
お互いが
不信に陥った関係は
修復することが
なかなかできません。
そこには
前述のように
自分を守ろうという心理力学が
はたらいてしまい
しこってしまった感情は
なかなか溶けることが
できません。
相手が変化することばかりを
求めてしまいます。
しかしね、
それは
有り得ない。
関係の中で起きたことは
その関係の内容を
修復しない限り、
相手は
変わりませんし
自分も
変われません。
自分が苦しむということは
そこに
自分が直面し
解決しなければならないことが
あるから
そうなるのです。
相手に自分の言葉を伝える方法は
手紙で伝えるか
直接話して伝えるか
それは
相手が受け取りやすい形に
加工する”知恵”が
必要ですね。
伝えると決めたら
何としても
伝えるのです。
知恵をはたらかせてください。
また伝えても
直ぐに、その返事がもらえるとは
限りません。
相手も、自分の心のなかを整理し
考える時間が
必要です。
しばらくはほおっておかれるかもしれませんね~。
それでもね、
相手を信頼することです。
自分が苦しむ相手、
特に何らかの深いかかわりあいを持った相手に対して
自分が苦しむのは
実はその人間を信頼しているから
苦しむのです。
無意識のところで
その人間を信頼していたから
深いかかわりあいを
もったのであり、
初めから
自分が信頼できない人間には
チャンと距離を取り
近づきません。
本能的にね。
極端にいうと
いじめる人間といじめられる人間の関係でさえ
そこには
奇妙な、
歪んだ
或いは倒錯した信頼があり、
しかし
もちろんそれは
負の連鎖の中で
破滅していきますが・・・。
信頼していた相手から
裏切られた
或いは
想定外のことが
起きてしまった時
信頼していたばかりに
その相手に対しての
怒りや憎しみや
恨みが湧いてきます。
それともうひとつ
重要なファクターとして
無意識に
自分を責めているときも
相手に対して
怒りや憎しみが
湧きますよ。
しかし
裏切られたということも
想定外のことが起きたということも
それは
自分の認識の甘さ
そして
相手に対する依存など
自分の弱さの投影が
そこに
あったからです。
だから自分では意識していなくとも
無意識に
自分を責めてしまい
それが反転して
相手へ怒りへと転化されていくのです。
つまり
それらは、視点をかえれば、
自分が内包している、
いろんな心理的な問題が
白日のもとにさらされて来たと
いうことですね。
その時
いちばん安易なのは
すべてを相手のせいにして
相手を
攻撃し
切ることです。
そうして終わりにしようとすることです。
しかし
そうすることは
自分の中に
人間不信の種を育てることにしか
なりません。
人間は憎む自分や恨む自分を
受け入れたくはないのです。
だから、相手のせいにして
終わらせたいのですね。
でもねえ~、
思いだしてほしいのは
最初は
お互いを
信頼していたことです。
自分では
気づいていなくとも、
おそらく、信頼していたと思いますよ。
そして
怒りが湧いたり
憎しみが湧くのは
実は
まだそこに
相手にたいする信頼を失っていない…ということなんですね。
以外でしょ!
以前にもかきましたが
怒りは、そこにまだ可能性があるときに湧く
感情です。
憎しみもそこに何らかの
あきらめきれない、
ピリオドをうてないから
憎むのです。
怒りも
憎しみもそこには
あなたと向き合っている相手が
人間としています。
もし
相手に対して
何も求めていないなら
感情は
すーっと醒めてしまいます。
その時、相手は
人間の生々しさがない
無機質のような存在としてしか
映りませんから。
そこには
自分という人間と
相手という人間が
対峙しているのです。
つまり
あきらめきれない自分がそこにいるから
怒り
憎むのですね。
しかし怒り憎むという感情にのみ
捉われているのは
本能的で
動物的な次元の低いレベルでの
自分です。
そういう交流しかできない
自分です。
人間は、
考えるという高度の脳の働きを
獲得しました。
人間が人間たる所以ですね。
人間はそのために
言葉を獲得し
自分を意識化し
その言葉によって
動物的に走ってしまう自分を
コントロールできるように
なりました。
だからこそ
考えましょう。
人間ですから・・・・。
自分と相手との和解の接点を
考えましょう。
そしてそれを
どのように伝えたら
お互いの
和解が得られるかを
考えましょう。
そしてさらに
時間をかけて
関係を修復していきましょう。
時に何年もかかるかもしれませんが、
あきらめずに
それをやり遂げていく道に
自分の成熟も起きてきます。
人間を憎むこと、恨むことから
人間を信頼することを
取り戻した時こそ
苦しみから
解放されます。
それは
苦しみがゼロ地点へと昇華してゆき
そこからまた
新しい自分が始まります。
どうでしょう、
もう二人ともが
十分に苦しみぬきました。
もういいです。
自分をゆるし
相手をゆるして
次の人生へと
踏み出しませんか・・・・。
そうなると
いいね。
あんまり暑いので
カメラをもつ手が
ぶれちゃった!