人生を解決する・・・その7 |
人間のコンプレックスほど
不要で不毛なものはない。
キリスト教の聖書の中で
イエスは
なぜ着物のことで思い煩うのか。
野の花がどうして育っているか
考えてみるがよい。
栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花のひとつほども着飾ってはいない・・・と
説いています。
人間の女性も、そのままで、ただただ
野の花のように
美しいのですよ・・・。
そしてね、
コンプレックスに捉われている限り
そのひとの輝きは
半減します。
自分はコンプレックスがあるから
異性にもてないと
思っているかもしれませんが
逆です。
そう思っているから
自分の中の輝きに
ブレーキがかかり
魅力が半減するのです。
どんな男性も
いくら顔や容姿が良くても
心根の悪い女性とは
つきあいたくないでしょう。
そして
こころもね
顔に
現れるし
コンプレックスも
顔に
あらわれてしまいますから
その自信のなさと
自己ディスカウントが
相手を引かしてしまうのですよ・・・。
今日は
コンプレックス…というものが
いかに
無駄なことで
愚かなことであるか・・・を
わかりやすく書こうと思いますが
かけるかなあ~!
中心的に書くのは
顔と容姿のコンプレックスですが
それ以外の
どんなコンプレックスも
人間には
不要で
不毛です。
中には
コンプレックスがあったらからこそ
成功したという人もいますが
それは
その人が
自分の内面と闘ったからです。
また
成功した・・・かと
思われる人でも
本当にそのコンプレックスに
打ち勝っていない限り
最後には
呑み込まれて墜落してしまいます。
わたしから言えば
それにコンプレックスそのものが
無用の長物で
そんなものに捉われて
人生の時間を浪費するより
はじめから
蹴っ飛ばしてしまうほうが
よほど
人生が充実します。
まあ書いてみましょう。
まず、お訊きましょう?
あなたが持っているコンプレックスは
誰と比較し
誰に対して抱いているものですか・・?
具体的にその相手の名前を
挙げてみてください。
それはもしかしたら
友人のAさんであり
同僚のBさんかもしれませんね。
また
漠然とした人間一般かもしれませんね。
しかしそれは
その人たちが現れる前から
あなたの中にあった
もともとのコンプレックスが
反応,作動してそうなったのであり
AさんやBさんがいなくなっても
次にあらわれたCさんに対しても
また
コンプレックスをもつかもしれないでしょう。
つまり
コンプレックスがはじめにあり
それは
あなたがコンプレックスを
誰かから
植えつけられて
そのコンプレックスを
あなたが
持ち続けている・・・ということが
問題なのです。
あなたが持ち続けているのは
あなたの
”頭の中”に植えつけられた
あなたをコンプレックス状態に追い込む
”観念”および”想念”(イメージ)と”言葉”が
あなたの
頭のなかから消えないで
常に
あなたを脅かしている・・・ということです。
つまりね、すべては
あなたの頭の中で
起きていることなのです。
そして赤ん坊はコンプレックスなど
もって生まれてきませんから
明らかに
あなたにコンプレックスを植えつけた人間がいます。
つまり
誰かが、
あなたにそういう観念と言葉を
あなたに植えつけた・・ということです。
裏返せば、
あなたは
その
誰かによって
そいつのコンプレックスをバトンされた
或いは
その人間のコンプレックスのなかに引きずりこまれ
敢えて過激にな言葉でいうなら
餌食にされた・・・ってことです。
(わたしはずいぶん過激ですねえ、
でも
はっと目覚めてもらいたいからね・・・。)
そして
そもそも
コンプレックスのもとになっている
ものさしの正体は、
その社会の
”通俗的価値観”に基づいた
ものさしであり
すべて
人間が作り出している幻想です。
この”幻想だ・・・”ってことが
わかるといいのですが
まあ、心理学や社会学や脳の基礎知識がないと
なかなかわかりにくいと
思いますが・・・。
どうぞ勉強してください。
要は
幻想だから、
おもいこみであり
本当は
実体がないのです。
きちんと
実体としての証拠と証明があり
その根拠をもって
みんなが
そう思っているのではなく、
なんとなく
そうではないだろうかなあ~・・・という
漠然としたものが、集められ
社会の中に漂っている・・・と
いうものです。
だからそれをそのまま思い込んだ愚か者が
それを根拠に差別をする・・ということも
ありますが、
そいいう相手は貴女にふさわしい人間では
ありません。
さらに今の世の中は
あたかも
男性の欲望や女幻想が闊歩し
可愛いとか、セクシーとか
それを売り物にしている女の子がいますが
それは、いわゆる商品であり
人間としての扱いを
うけていないと私は
思います。
だから
具体的にひとり、ひとりに
・あなたは人を顔や容姿で判断しますか・・・?と
質問すると
たいがいの人は
そうではない・・・と
答えるでしょう。
まあ
中には顔や容姿で決める・・というお馬鹿さんも
いるでしょうが・・・・?
論外です。
つまり
社会の表面に浮遊する
人間の欲望と
実際に
人間が生きるために
実生活において
堅実に、リアルに求めてるものとは
大きな隔たりがあります。
だからこそ
流行などという
現れては消えてゆく
水の泡のように
消費されていくものが
成立しているのですね。
流行は
社会の上っ面に浮かぶ
人間のフラストレーションが
裏返ったものです。
だからそれに刺激されて
踊らされて
自分の中にたまったガスを抜くのですね。
そういう
何となくの
人間の欲求や欲望や
欲情が
まるで油汚れのように
社会の表面を覆い
あたかも、そうであるかのように
共同して思い込まれたものが
浮遊して現れるのが
社会現象…というものです。
たとえば
戦前などにはなかった
学歴偏重の学歴社会が誕生して、
勉強ができない・・・という
コンプレックスがうまれたように・・・です。
コンプレックスは
そのコンプレックスをもった人間たちが
造りだす
被害妄想の蜃気楼のようなものです。
だから
コンプレックスを持っている人間だけが
それに追い詰められるが
コンプレレックスを持っていない人間は
全然関係ありません。
つまり
コンプレックスの本質は
本当は実態のない相手や社会現象を
自分が勝手にシュミレーションして
その幽霊のような相手や社会を相手に
相撲を取っているにすぎないのです。
つまり、
人間社会の中の心理の澱みたいなものを
根拠にして
みんな、そうおもっている…だろう、
或いは
私はみんなから
そう思われているかもしれない・・・という
あなた自身の
強迫観念が
あなたをそう追い込み
その
あなたが
脅かされ
対象にしている、みんな=あなた以外の人間たちは
実際のこと
どこに
どのように
存在しているのでしょうか・・・?
仮のにあなたのコンプレックスをつつき
あなたをそのように
攻撃する人間が
具体的にいるとしても
それも
あなた自身が原因をつくり
引き寄せているのです。
その人間も
あなたが自分の中にそういうコンプレックスを
もっていなかったら
つついても攻撃しても
そこには
あなたの反応がないはずですから
攻撃をする意味がない。
あなたを
いじめる効果がないのですね。
つまりあなたがそもそも
自分のコンプレックスを
認めているからこそ
その弱さにつけこんでくるのです…彼らは!
そうして
残念なことに
あなた自身も
そういうクズのやつらを相手にして
生きている。
私流にいうと
そういうクズとばかり向き合い
”ああ、やっぱり私はだめなんだ”という
自己確認の
心理ゲームをするのです。
それはあなた自身が
残念なことに
長年持ち続けた
”コンプレックスのまみれた自分”のほうが
”自分としての存在実感”があり
◎ あきらめた自分のほうがピンとくる自分であり・・・
そういう風にして
自分が慣れ親しんだ自分に見合う相手を
引き寄せている。
中には
あなた自身を高く評価し
あなたのありのままと
つきあいたいという相手が出てきても
あなた自身が
恐れをなし
逆に
自分のコンレックスを評価?し
自分の気の弱さに付け入る相手ばかりを
選ぶ・・・。
そこには
自分を守り
自分に誇りを持ち
付け入るあいてを
とことんやっつける気迫に欠け
さらに
コンプレックスを克服して
自分を輝かそう・・・という
努力を
サボっている
あなたがいると思いますが
どうでしょう・・・・??
また
それは
おそらく
子供時代における
何らかの挫折感や
親、或いはそれに類する人間から
そういう
相手と戦う意志や
自分を救い出す力を
”くじかれた経験”があるからだと
思います。
さて
ほんとうはね、
最初から
あなたのコンプレックスを見ている人など
いません!
しかし
つきあううちに
あなた自身が
見せてしまうのです。
つまり
そこには
あなたの甘えがあります。
コンプレックスに甘んじているあなたの姿です。
だれもねえ~、
コンプレックスまみれのあなたと
つきあいたいとは
思いませんよ。
誰も
はつらつして
全身で生き生きしている人と
つきあいたいものです。
だって
そういう人と付き合うと
とてもさわやかな
エネルギーの交換ができるでしょ。
自分をディスカウントし
自分の半分のエネルギーを差しだし、
コンプレックスが反応して
すぐ傷つく・・・ひとなんかとは
つきあいたくないです。
つまり
コンプレックスとは
自分の能力や
エネルギーを発揮することを
サボっている
甘ったれ・・・ということです。
そして
残念なことに
コンプレックスを持った者同士が
引き合い
つぶしあい
まあ
不毛な関係を結んでは
さらに
傷つく・・・。
コンプレックスなんかいらない
と
蹴っ飛ばすか
或いは
自分にコンプレックスを
植えつけた人間に見立てた段ボールを
思い切り
叩いて
その人間を退治して
自分のなかから追い出してください。
そんなもの持っていても
なーんの益も
ありませんからね。
最後に
すごーく強烈で
本当のことを
書きます。
この世の中で
成功していくほとんどの人は
イケメンでも
美人でもなく
ブサイクな人です。
まあ大胆に言い切っちゃたけど・・。
いいかえれば
若いころの顔の道具立てなんか
関係ないのです。
顔は正直ですから
年齢とともに
その人間の内容が浮き出てきます。
だからいくら
若いときイケメンでも
美人でも
歳をとるに従い
そこに
脳の複雑な働きや
内面の葛藤があると
顔は歪んでくるものなのですよ・・・。
そりゃそうでしょうよ。
頭がよく働くから
複雑なことがよく見えてきて
だからそこに
一筋縄ではいかない
葛藤が起き
ストレスも起き
さらに
難しいことを解決するために
皮膚も筋肉も
さらに
全身が緊張と弛緩の連続のなかを
生きるでしょうからね。
そうして
脳が鍛えられたゆくのですから
当然顔も姿も
その格闘の後を
残していくでしょうに・・・。
そして
顔はひん曲がっても
そこには
深い考察の表情が
現れてきます。
何事にも代えがたい
その人間の
深さです。
そして初めはコンプレックスに陥っていた人でも
そのコンプレックスに打ち勝った人は
とても魅力的な人に
なります。
まあそういう人は
そうそう
たくさんいませんが
私がいますぐに思い浮かぶのは
漫才界の
内海恵子師匠
そして
今くるよ師匠
さらに
樹木 希林女史
など
決して美人ではないが
もう
あふれ出る魅力と
ゆるぎない実力の人です
文学の樋口一葉女子も
おそらく最初は
コンプレックスまみれだったと
思います。
でも最後はすべて
超越してしまい
森鴎外や幸田露伴も
彼女を称賛しましたからね。
昨日から
人間の美しさは
その顔でも容姿でもなく
なかから輝く光であること。
さらに
どんな人間も
コンプレックスなど
持つ必要はありません。
人間は本当は
誰からも
コンプレックスで貶められては
いないのです。
ただ
自分が
自分を貶めているにすぎません。
コンプレックスに甘んじでいるのは
甘えです。
この世に生まれたのですから
自分のすべてを
フルに発揮して
自分のためにも
他者のためにも
世界のためにも
自分を生かして
役に立てましょう。
さあてと
うまく書けたかなあ~!
どうぞ
そのままのあなたを
好きになってくださいね。
この花のような
葉っぱのような
花・・・・?は
初恋草というらしい!
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と「小さな学校」DVDをギフトいたします。
〇 映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
〇 奥友志津子さんの漫画が始まりましたので
ご紹介いたします。
奥友志津子・座標空間より
『怒りんぼモンスターが出現する!』
・怒りはどこからくるのでしょうか・・・???
・怒りをガマンしていると
どうなっていくのでしょうか・・???
・人間はなぜ怒るのでしょうか・・???
楽しみです。