コメントの質問にお答えします。 |
ご質問におこたえします。
〇
人間は他人を変えることはできません。
他人はすべて、自分とは別の世界をいきている人です。
そして他人は、自分の思いどおりにはなりません。
このことを頭の中に叩き込んでおく必要があります。
そのうえで他人と自分との関係をどのようにしていくかは
その人間の考察力や創造力を動員して
創りあげていかなければなりません。
そこには自分がどのような生き方をしたいかという
自己イメージの設定や
その自己イメージに基づいて
他人と
どのような距離感をもって向き合うか・・という
考察が必要です。
そして自分の中に起きてくるストレスも
もちろん他人と自分との落差や違和でおきるものですが、
それがストレスとなるのは
ほとんどの原因は自分にあります。
つまり自分の中に
他人を受け入れられないものや
自分の行動を禁止するもの
自分の欲求を禁止するものなど
まずは自分の生き方を
点検してみる必要があります。
自分にブレーキをかける禁止令につきましては
10月 6日のブログに書きましたので
それを参考にして
自分にかかっている禁止令を発見してください。
更に自分と他人との交流がストレスになってしまうのは
自分の深層心理にある
人間への恐れやや猜疑心や不安が
原因です。
これらのものは
その人間の幼児期において
親、、或いはそれに類する人びとから
感情的な、否定的行為で
頭の中に刷り込まれたり
マイナスな感情をバトンされたりして
人間を過剰に警戒したり
疑心暗鬼になったりしたものが
人間関係を結ぶことの障害となってしまうのです。
自分の中に恐れや猜疑心を抱え込んでしまった人間は
対人的に相手を信頼できません。
また、自分の自由な行動を禁止してしまった人間は
対人的にいつも緊張の中に落ち込み、
本来あったその人間の自由で快活で
柔軟な感性が硬直し
常に自分が自分の行動を見張ったり
検閲したりして
いつも自分が自分に脅されている状態で生きています。
つまり
自分に起きるストレスのほとんどの原因は
自分の中にその内因があるのです。
そして
更に自分に禁止令をかけている人間は
対人関係を
自分にとって楽になる対人関係ではなく
自分に圧力をかける人間たちを引き寄せたり
自分を縛るようなフィールドに自分を置いたりします。
つまり禁止令がかかり
自分にOKを出していない人間
自分を肯定的にみることができない人間は
自分のそのネガティヴィな意識が
更に強化されるような
人間と関係をもち
そういうフィールドへ自分を
置いてしまうのです。
では
そういうスパイラルから
脱却するにはどうしたらいいか・・?
それはまず自分の在りかた・
存在の仕方について
厳しく冷静な目で見つめ
分析してください。
・自分ほんとうに自分の望むような生き方をしているかどうか?
・自分は自分の感情や思いがそのまま受け入れられるような
人間たちと出会っているか・・?
・自分は、どんな時にストレス強く感じてしまうのか・・?
等々
そういう風に自分を見つめながら、自分を分析してください。
そして
自分のなかの感情をよーく眺めて
自分が押し殺している感情や
我慢している感情や
或いは
いつも批判してしてしまう感情や
他人にたいする怒りや
恨みの感情
嫉妬の感情などが
ないかどうかを
よーく点検してみることです。
そして
そういう感情が見つかったら
その感情をお掃除することです。
お掃除とは
なぜ自分がそういう感情をもっていしまったか・・を
子供の頃の親との関係
或いは兄弟との関係などから
分析してみてください。
そうして自分の感情の原因をつきとめたら
こんどはそれを
感情をもって
吐き出すことです。
それは、カウンセラーと話ながら
カウンセラーに誘導してもらってもいいですし、
私が共依存からの脱出で書いたように
段ボールでも椅子でもいいですから
それに向かって
怒りの感情や
うらみの感情を吐き出してください。
バカヤロー
よくも俺を抑え付けやがったなあー・・とか
なんで俺がお前にやられなきゃならないのかヨーとか
まあ、
こころの中に溜めこんだ怒りや恨みを
罵詈雑言を吐きながら
棒で
そのダンボールや椅子を叩いて
胸の中にしこっている感情
我慢ばかりしていた感情を
吐き出してください。
また職場も同僚に対しての怒りやうらみでも
いいです。
とにかく吐き出すことです。
なぜ罵詈雑言かというと
生きる・・ということは
”戦い”でもあるのです。
その戦いを放棄したり
忌避したりしていきていると
つまり自分を汚さないように
きれいごとでいきている人は
どうしても、スカスカの幽霊のようになってしまうのです。
存在の中身に重量がなく、
覚悟もなく
腰が据わっていないのです。
だから
強い相手に喰われてしまうのです。
自分のきれいごとを捨てて
相手に負けないくらいの攻撃的感情で
自分の中から戦いのエネルギーを
引き出してゆく・・・!!
だから、
罵詈雑言でいいのです。
さらに
叩くという行動は
自分のなかから
おそれや
怯えや
不安を叩きだし
体を使いながら、全身で
その恐れや怯えや不安を
体から追い出すために
叩くのです。
そしてね、
以下のことは私の独断ですので
間違っているかもしれないのですが、
ちょっと自分を振り返ってみてください。
貴方は、これまで
いつも自分の意志に基づいて
判断し
決断をして生きてきましたか・・・?
いつも受け身で生きてきませんでしたか?
他人に依存し
他人の意見に自分を委ねていきてきませんでしたか・・???
さらに
貴方の中には、善い人間でありたいという欲求や
善い人間であらねば・・・という思い込みはありませんか・・?
人間の現実はきれいごとでは生きれません・・・が
その人間社会の汚さを
受け入れてきましたか・・?
さらに,貴方の中にはメシア症候群・・・という
自分より弱い人間を救いたくなる・・・という感情は
ありませんか。
教師や医者になろうとする人間は
とかくそういう傾向があり
自己救済が裏返って
他人を救うという自分を設定してしまいますので
こういう人は
ほんとうは自分が救われなければならないのですが
それに気づかず、
他人を救うことや
献身的であることや
或いは自己犠牲的な自分を設定し
他人を救うことを
自分を救うことの代理にして生きてしまうのです。
そしてさらに
人間はさまざまに多様な側面をもっており
もちろん善良な良きところも
たくさんありますが
時にずるく、
悪がしこく
嘘ついたり、裏切ったり
意地悪で
ときに下品でありクズであることもする・・という
そういう人間の多様性を受け入れていますか・・?
その多様性は、他人中に見つけますが
それは
自分の中にもあるからこそ
そこに反応してしまうのです。
つまり人間とは
そういう多様性のなかから
常に自我が自分を選択しながら
生きています。
だから人間によっては意地悪な自分や
ずるい自分や
下品な自分・・etcで生きたほうが実感がある人間は
もう自動的にそういう自分を選択しながらいきています。
もちろんそういう
ネガティヴな生き方をしている人間と
付き合う必要はありませんよ。
蹴っ飛ばすくらいでいいです!
或いは身辺に近づけない!
しかし
そういう人間も、自分の闇をかかえ
もがきながらいきているということ。
それも人間の人間としての一面であること。
人間社会が反動的に生み出してしまう
人間の感情であること。
を
理解することが
できているか・・・。
人間の見方が狭かったり
硬直したりすると
その人はどうしても自分には理解できない人間を
受け入れることができません。また
人間を単純にしか理解できないと
人間を正義や、倫理や、常識というものさしで
量ろうとします。
実は
人間は、その倫理や正義や常識や道理の中に
きちんと治まって生きているということは
有り得ないのです。
ほとんどの人間は常に
そういうところから
外れたり
はみ出したりしては
またそこへと戻ったりという
試行錯誤の中をいきています。
だから人間を一元的に見たり
或いは
型にはめてしかみることができないと
どうしても
この世の中には
適応できず
ストレスだらけになってしまいます。
自分の中の禁止令を
解除することは
同時に
他人を大きく
広い目でみることができてきます。
自分をより自由に解き放つことは
同時に
他人をより自由に解き放つことでもあります。
自分を好きになり
常に自分を、
それでよし・・・と
肯定できている人は
それほど落ち込むことも
傷つくこともありません。
ストレスもないわけではないが
それも上手に処理していくことができます。
青の青様が
どのような状態でおられるのか
詳しくはわかりませんので
いちおう参考になるかもしれないことを
書いておきました。
追伸
いきることは、自分のすべてをつかって生きることです。
自分の中にある
ありとあらゆることを総動員して生きないと
自分の使わない部分が死んでいきます。
善きことも
悪しきことも
すべてを
使いこなしてこそ
人間は生き生きとするのです。
自分を抑え込んでいる怒りや
攻撃の感情をも
解き放ち
仁王様のように生きれるといいですね~!
頭の回転の悪いあたしですが、あなた様の言葉の一つ一つが熟した果肉のようで、生きたカウンセリングというのはこういう事を言うのだなと、改めて思おっております。
あたしが学んでいる「選択理論心理学」にも通じるところも多々ありました。青の青さまへのお言葉とありましたが、ズバッと人間の心の闇にも踏み込んでくれたのは爽快でした。ありがとうございました。