人生を解決する…その18・言葉が自分を変えてゆく。 |
同じように
自分のストレスに苦しまれている方々へ
基本的には、その人には、その人の
特異な背景や環境があり
それぞれケースは違うのですが、
そんな中でも
自分の中にしこった
或いは溜めこんだ
感情を吐き出すだけでも
ずいぶん心の中が軽くなります。
特に
攻撃的な感情を封印し、
ブレーキばかりをかけて
生きてきた人は、
その攻撃的感情を解放して
外に吐き出すだけでも
ずいぶん自分の気持ちや気分が
変化していきます。
それと同時に
体の中のエネルギーも
回復していきます。
そのためには
どうぞ私が考案した段ボールワークを
やってみてください。
ほんとうは、
カウンセラーとともに
そのワークをやりながら
自分の中の感情のしこりを
解決することができると
それは、
次への自分の生き方へと
繋がっていきますから
それがベストですが、
まあ
そうでなくとも
自分の中の攻撃的感情を
吐き出すだけでも
ずいぶんよくなると思います。
さて今日は
私がずーっと考えている
カウンセリングの本質について
書いておきます。
カウンセリング
つまり
自分の内部に抱え込んだ問題を
言葉やイメージにして
外に取り出し、自分が気づいていくことの本質は
言葉による整合性によって
自分の内部を合理的に
説明してゆくということだと
私は思っています。
自分の行為と感情を分析し
言葉による整合性をもって
自分が
合理的に
自分の行為や感情を説明できたとき
こころの中が
ストンと
そういう自分に対しての
合点がいきます。
ああ、そうかあ~と合点がいくと
もう
その問題が半分は解決されたと
同じです。
ストレスになってしまうのは、
その問題が不明で、
原因や正体がつかめないから
感情が脅かされるのです。
感情が脅かされるとは
自分の中の情動を司さどる
基底核(ワニの脳)や
扁桃核(ネズミ)の脳で
反射的に反応してしまい、
そこが興奮しだすともう
前頭葉の説明が
おっつかなくなり
前頭葉が機能不全になってしまうからです。
しかし
前頭葉がキチンとそのことを
言葉で説明できると
ああ~そうかあ~と
こころは落ち着いてくるのです。
人間の心は神秘でありそうで
神秘ではありません。
なぜかというと
つまり
まだ”説明”がついていないところが
神秘なだけです。
人間が、言葉を獲得し
その言葉によって意識を獲得して以来
人間の歴史は
ずーっと
”人間とはなにか”
”こころとはなにか”を
追求し続けてきました。
古くは紀元前以前のギリシャのソクラテスや
プラトンなどの哲人や
さまざまに発生した宗教
ペルシャのゾロアスター教やユダヤ教や
キリスト教も仏教も
みんな
人間とはなにか
こころとはなにかを
言葉の整合性をもっての
説明を試みたものですね。
そしてこの私たちの現代にいたるまで
なんと
多くの人間が
人間を解明するために
人生をかけ
時に
命がけで
取り組んできたことでしょう。
それが私たちの文化と文明の歴史であり
その人々の情熱と使命感の上に
今の私たちは恩恵をうけながら
生きています。
それは常に
言葉による整合性や
科学による実験と実証により、
その法則性を発見し体系化されるという
整合性を
言葉によって説明されてきました。
もう私たちの後ろには
多くの数えきれないほどの人間たちが
”人間とはなにか”というこことと
格闘し
解明しつづけてきて
そのかぎりない努力の延長の上に
フロイトがいよいよ”無意識”という領域を
発見しました。
精神の世界を紐解く
精神分析の世界が
開かれていきました。
その先にユングやアドラーや
後続の心理学者が続き
こころを紐解く方法を
更にさらに追及し、公案していきました。
そして同時に
心理学だけでなく
さまざまな哲学者や思想家や
そして自然科学でも
社会科学の分野でも
もう数えきれにない人々によって
人間とはなにか・・・が
明かされてきたのが
私たちの学問の歴史です。
日本人の皆さんが好きな
ニーチェも
ドストエフスキーも
サルトルも
ハイデガーも
みんな
人間とは何ぞや・・・を追及してきた人々ですね。
つまりそこには
言葉をもって
こころの整合性を証し
人間を合理的に説明しようとすることが
営々と人間のために
為され
そして今日の
脳科学も
認知科学も
すべてが
人間とは
人間世界とは
さらに
宇宙物理学も
あるとあらゆる学問が
人間のために
考察し
実験し
法則を発見し
体系化してきたということです。
素晴らしいですね~!
その恩恵の中に
私たちがいきているということですね。
そして
私たちの心というものの解明も
あと一息です。
それは広範な大衆レベルまで理解されていくのは
もう少し時間がかるでしょう。
しかし
知力を働かせ
知性と教養をもって
人間および
自分の内面を探求する人々は
少しずつ増えていくでしょう。
だからこそ
私は
言葉をもって
このブログを書いてきました。
まずは言葉で
自分の内面のメカニズムを
理解する。
それは原因と結果という
整合性をもった
論理の中にあるということを
お伝えしたいからです。
だから、自分で理解できないことを
神秘的にしたり
霊とか
宇宙とかというものに
安直に結び付けないで
自分の中の整合を
見つけてください。
自分が不安から抜け出られないのは
情動の脳が
やみくもな不明の中にいるから
不安や恐れが起き
それが
その人のこころを支配して苦しめるからです。
しかし、
それに説明がつくことで
情動の脳の暴走をコントロールすることができます。
だからこそ
私たちは
”知的”に自分を理解するということが
大事なのだと
私は思うのですよ。
まず
”知的”に
”知性”をもって
自分の内面に向き合う。
そのためには
こころのメカニズムに対する
知識を得ること
そのために
少しでも
役に立てればとおもい
書いています。
そうして
自分の中に起きる
感情の動向や原因を
つきとめたら
こんどは
無駄な感情
無駄な恐れや
怯えを
お掃除し
その恐れや怯えに
呑み込まれている、或いは
負けている自分を
正常な
健康な自分に戻すために
退治するというわけです。
記憶というのも
過去記憶がそのまま記憶されたいるのでは
ありません。
記憶もいったん形や要素に分解されて
各分野ごとに
脳のフィールドに記憶されたものが
その人間の必要に応じて
再編集されて
意識にのぼってくるのです。
だから
すべては
自分の今に鍵があり
自分の”今”の存在の仕方に
その原因があるのです。
つまり
今の自分が
過去の自分を
どのように記憶しているかが
そのカギとなるのです。
しかも
記憶も自分の命が危機と感じている場合は
思いだせません。
命はちゃーんとそういう風にして
その人がパニックにならないように
コントロールしているのです。
だからこそ
その人が
自分で
自分の過去の記憶を思い出す決心や
意志なくして
そこを開いてはいけないのですぞ・・・。
しかし
その人が、自分の苦しみや辛さの原因を
つきとめる決心がついたときは
記憶の扉が開いて
過去のことを思い出します。
親との分離ができていない人間は
親と分離するのをおそれて
たいがいその記憶を封印しています。
しかし
親と分離し
自立したい意欲や決心がついた人間は
だんだん自分の子供時代の
辛いことを思いだします。
自分の心の傷
傷ついたインナーチャイルドの自分を
思いだすのです。
そこが自分という人間の
行為や感情を説明する
入口です。
自分がこの世になかなか適応できないのは
8歳~10歳ごろまでに
自分が思い込んでしまった
自分の生き方(人生脚本)に
問題が潜んでおり
さらに
その脚本に基づいて
自分が行動を禁止してしまった
禁止令が
自分が生き生きと自在にいきることを
阻んでいるのです。
その今の自分を決定している
自分の人生脚本をいかに
書き変えるか
自分が禁止してしまった
自分の禁止令を
いかに解くか
そのカギが
自分の幼児時代の
親或いはそれに類する人間と
関係にあるのです。
だからこそ
そこを
言葉で解明してゆくのが
カウンセリングです。
もうわかりですね。
言葉により
自分の過去を紐解き
そこから発生している
自分の感情を
解決てゆく。
解決してゆくためには
自分のなかに棲み込んでしまった
他者に対する恐れや
怯えを
退治する必要があります。
退治するには
戦いが必要です。
最後に
私は
カウンセリングの本質は
言葉による
自己改革であると
おもっています。
だからこそ
「朝の祈りのノート」は
とてもたいせつです。
そして自分の中のイメージも、
その亡羊としたものが
言葉によって、
明確化された時
変革への効力を発揮します。
無意識の中は
そのイメージが亡羊として漂っています。
なかでも
自分を不安におとしいれる
そのイメージを言葉化した時に
はじめて
自分をおどしていることの正体が
わかるのです。
また反対に
無意識の中には
数知れぬイメージと
情報が
茫洋として蓄積されてもいます。
だからこそ
自分を信じて
自分を肯定したときに
その無意識からは
たくさんのイメージや
直観が
降りてきます。
まあ
それを才能というのでしょうか・・?
人間は
恐れや怯えのブレーキが外れた時
自分の心が無心に物事に向き合う時に
多大な能力とエネルギーが放出されてきます。
その時に、予想もしないことが出来たり
いわゆる、自分のジャンプが起こるのですね。
人間の歴史は
人間が自分を掘り下げることの
歴史でもあります。
それは星の数ほどの
先人たちの汗と血の努力の
積み重ねの上に
今があります。
だからこそ
知性と知力をもって
自分を掘り下げ
解決していってほしいと
私はいつも思いながら
このブログを
書いています。
最後にしつこいですが
人間の心は神秘でありそうで
神秘ではありません。
なぜかというと
つまり
まだ”説明”がついていないところが
神秘なだけです。
おそらく人間は
その知力をもって
そこも解明してゆくと
思いますよ!
お絵かき教室で描いた
人参とリンゴです。
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と「小さな学校」DVDをギフトいたします。
〇 映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。