吠えたからには書かんといけんね・その3 |
全く無心で、無垢の自分がいるのに
育つにつれて、さまざまなものを
受け取り、また学習していきます。
受け取り、学習というと
聞こえはいいけど
良いものを受け取ると同時に
クダラナイものや、必要のないものも
さらに自分を否定的に追い込んでゆくものなどを
受け取り
学習といっても、
偏ってどうしょうもないものや
行けば、いくほど、
泥沼や深みにはまるようなことも
学習してしまうのですね・・・・・、
親や
それに類する人間達からです。
もちろん
成長するにしたがって
その交流する範囲はおおきくなりますから
学校や世の中や
社会のゴミといいますか
くだらない幻想(おもいこみ)など
まあ、
人間の集団が不可避的に持っている
さまざまな
クーダラナイ、
あほらしい!
ゴミにしかならないようなことも
受け取り
学習してしまいます。
そして
それらが社会にデビューする前の
自分の脳の初期設定になっていきます。
まあ、多くの人間が
それをゴミとか
アホらしい幻想だとかと
思っていない・・・というものも
数多くありますから
それも
問題なんですが・・・。
そしてね、
残念なことに
脳は、そういう
必要な事も、必要でない事も含めて
私たちの意志が薄弱な時
自動的に
反応し、
他者、および社会との化学反応を起こしてしまうのですよ!
つまり、
私たちが、
自分の意識と意志をもって
しっかり運転しているときを別として
そうしないで
ほおっておく限り
自分が初期設定にしてしまったこと、
或いは身に着けてしまった
さまざまな
・思い込みや
・感情
が
勝手に反応してしまうのですよ。
よーくじぶんの心を
観察してごらんなさい!
脳が勝ってに動き回っているのが
分るでしょ!
もう
脳に好きかってさせている人の方が
大部分ですからね!
そして
その初期設定の反応システムを
無検証のまま
社会に出たとき
その設定では
さまざまに、
対応しきれないことが起きてきて、
脳がフリーズし、
体がおかしくなるのですね~!
整理されてなく
また
意志の目的をもって
書き換えられていない
その
無秩序の設定のままでいると
脳はもう恣意的に
どんどん反応してしまいますよ!
つまり
自分がどういうい初期設定をもっている・・・を
徹底的に
洗い出して、検証しない限り
脳はもう、
勝手にどんどん反応し、
また、
脳が勝手に反応してしまうことを
知っていない自我は
そういう風になる自分を
訳が分らず
責めたり
傷つけたり、
どうして、私はこうなるのー???
と混乱し、
出口が、皆目わからないまま
ドボンしてしまうということです。
ドボンして
フリーズしてしまうと
もう
当然の如く
鬱と無気力しか
残りませんよね~!!
つまりね、
いくらハウツーものの本をよんでも
自分の脳の内容についての
客観的な
検証がない限り、
ダメなんですね。
つまり
自分の自我は、どのような反応を
外部世界にしているのか・・・という
自己観察の目がないとね~!
客観的な厳しい観察の目です。
・つまり、大変高度で
知的な脳の働かせかた(作業)が
必要なんです。
その時
自己観察の目を
曇らせる
或いは
邪魔するのが
”自我”の”我”の
感情です。
この自我の”我”の感情はもう
自己防衛の砦です。
これがホントに強固でねえ~
どうしようもないのです。
なぜなら
その強固の裏には
ほんとうの自分をいきることを
恐怖している自分がいるからです。
変わりたくない自分が
いるからだね~。
だから
物事を冷静にみつめ
分析するよりも前に
・自分が傷つきたくない
・自分がまけたくない
・自分が正しい
・自分の方がエライ
・他人なんか受け入れたくない
・他人を否定したい
まあ
そのほかいろいろあるでしょ!
そういう自分の初期設定の中にある
防衛感情が
瞬間的に、その人間の、脳と体を乗っ取ってしまうのです。
そうなっちゃうとね、
もう
自分をまもることしか
頭にない、つまり
思考停止だからね!
人間は、目が覚めているときは
脳と体に軽いスイッチが入っている状態です。
スイッチというのは
脳と体がバランスをもって
その人間の内部の秩序を保っている・・と言う状態です。
スイッチが切れているのは
眠っているときなど、
いわゆる脳と体がバラバラで
無防備な無秩序の状態のときです。
その時
”軽い”という状態とは
スイッチが入っているけれど
意識と感情の統制が
緩い、或いは
意識の集中が
ヌルイ・・・という状態です。
つまり
きちんとした目的意識をもってなく
なんとなく…生きている状態とでもいいましょうかねえ~!
意識についている紐や
感情についている紐が
ゆるく、たるんでいる・・・という
感じですかね。
たとえば、仕事をしたりしているときでも
気がゆるむと
過去のイヤなことを
ちょっとしたきっかけで
思いだしたりするでしょ。
思いだしたくもないのに!
こういう時ってね、
脳は、勝ってに動いちゃうんですね。
自分の初期設定に基づいて
ランダムに
かってに反応しちゃうんですね。
だから、初期設定にある
いまだキチンと整理されていない意識や感情が
勝手に浮遊ししまうのですね。
まあ、
初期設定という箱の中に
いろんなものが
整理されずに
雑多に入っている状態であればあるほど
この
脳の勝手な反応が
野放しされている…という状態です。
もう、わかる人は
わかったでしょ!
この
野放し状態を
”意識と意志”をもって
整理しない限り
あっと思った時は
もう
自分が自分のネガチィヴな感情と行為に
乗っ取られてしまっている!
あ~あ・・・・・!
という風にです。
すでに遅し!!!ですね、
そしてさらに困ったことには
この野放し状態ではあるが
軽いスイッチがはいっている状態が
さらに緩んで(気がゆるみ)
スイッチが切れている、
あるは
切れかけているときに
スイッチが入っている時、
自分の理性が
ちゃんとコントロールしていたはずの
不安や恐れが
ふ~っと
コントロールの糸がきれて
浮いてくるのです。
自分の無意識に溜めこんでいる
禁止令や
自己否定や
マイナス感情のヤツラが
風船の糸がきれたように
浮かんできて
その人間の内面を
うめてしまうい
脅かすのですね。
つまり
自分の理性が
きちんと脳と体のコントロールをし
自分の内部を統制できていない時の
隙間をぬって
自分の溜めこんだ
不安が浮かんでくるのですね。
そうなると今度は
脳は危機を感じ
必至でそれを
シュミレーションしようとしてしまいます。
つまり、自分の不安の妄想化を始めるのです。
その時
自分の初期設定を
整理し
検証できていると
こじまよしお君ではありませんが
「でも、そんなの関係ない!」と
突き放せるのですが、
突きはなせないひと、
つまり
自分が生きていることを
肯定できていない人は
もう、
見事に
そこへと墜落していきます。
だからね、
だからこそ
自分の中にある
”知力”をいかに
養い磨くかということが
大切なんですよ。
たとえ初期設定がもう
めちゃくちゃでも
それを
自分の知性と知力をもって
書き換えていく・・・という
脳の知的な作業をしないと
もう、
脳は
自分のいうとおりなんかには
ならないからね!
自分の
・体験と経験をよーく観察し
そして
自分の中にある
・自分の体がほんとうに安心することはなにかを
よーく自分に聞いて
・そして、初期設定を支配している親からバトンされた感情や
マイナスの思い込みを
・自分の中から叩き出して
自分が持っている先入観の数々の内容、
・いらない感情
・いらない不安
・いらない猜疑心
・いらない幻想
・仮想の敵など
を
よーく整理し
自分の意志をもって
意識的に
選択していく。
つまり
自分の自我の偏りや歪みに
気づき
気づいたら
それらを処分し
できるだけ
ニュートラルな自分で
外的世界に
向き合うことですね。
つまり
自分の初期設定を
自分が外的世界に対応できるように
設定しなおしてゆくのです。
人間と社会に対して
できるだけ冷静に的確に
・リアリティーをもって向き合う自分
目の前におきている現象に対して
どれだけ自分は
・冷静に事の次第を掴もうとしているか・・・を
客観的にみて
逆に、
・自分の中に先入観はないか?
・自分が本能的な次元で反応していないかどうか?
(本能的な感情や欲望で反応していないか・・・)
・自分の幼稚な感情、たとえば好きとか嫌いで物事を決定、選択していないか?
・不安や恐れから、それらを過剰に膨張させたりしていないか?
・自己幻想が傲慢化して、物事を軽視してみていないか?
・自分のコンプレクスで、相手を過大評価していないか?
・反対に過小評価していないか
などなど
まあ、いろいろ個人差があるとおもいますけど。
自分のものの見方の偏りや、甘さや、依存を
よーく
検討してみるといいですね。
そういうことをしたうえで
さらに今度は
自分の実現したいこと
その目標や
自己イメージを
しっかり、
厳しさをもって
設定する。
それができれば
自分の行為や行動において
自分が
・注意を向けなければならないことと
・自分が注意をむけなくていいこと。
はっきりいえば
・無視してしまえばいいことを
・”意識的”に
・”選択する”
自分の”生命の働き”は
何を実現したいのか
・それにふさわしいこと
・ふさわしい人間関係
を
はっきり
自覚し
選択していく。
そして
根拠のない不安に
怯えないこと。
つまり
すべてのことを
できうる限りの
論理的な整合性をもって
分析したのちに
自分の生き方に受け入れていくことだと
思います。
あ~あ
たくさん書いたので
疲れましたので
今日は
ここでまでね!
次回は
戦略的にいきるとは
どういうことか
を
書くつもりです!