このこの清々しい空を!2 |
バトンしたわけではありません。
親もたくさんの愛情を
子供に注いだと思います。
しかし残念なことに
脳は危機管理をしますので
負の記憶は克明に残りますが
愛された記憶は
どんどん風化して消えてしまいます。
でもね、
愛されたからこそ
自分はここに
存在しているのです。
そのことを
充分自覚したうえで
さらに
自分の中に影を落としている
親からバトンされた
負の遺産を
良く検証し
克服していく必要があるのですね。
自分が自立してゆくというのは
そういう
親を突き離して
客観的に
総ざらいして
親を見るのです。
いいとこも
悪いとこも
すべてを
反面教師として
検証する。
それは
とても
理性的な
眼です。
断っておきますが
自分を
親からの
被害者の位置に置いてはいけませんよ。
被害者の位置に自分を置く限り
その人間はまだ
親に依存していることですからね。
そうではなく
親に依存しないと
決心し
覚悟を決めて
親離れをするのです。
動物の中で
人間だけが
子供との関係を引きずります。
他の動物は
親としての役割を果たすと
もう
さっさと子供から離れて
親は自分の宿命を
生きていきます。
親を敬せたり
子どもに恩をきせるのは
人間だけです。
では
動物たちは
冷たいかというと
そうではなく
子供が自分の保護下にあるときは
せっせと
愛情を注ぎます。
愛情を注がれて育った子供は
旅立ちの時はもう
全力で
旅立ち
親を振り返ることもなく
親はそれをごく当然のこととして
受け入れて
別れます。
もうその関係は
あっさりとしたものですね。
人間だけが
ネバネバと
感情を引きずります。
人間も
子孫を残すということは
動物のそれのように
あっさりと
さばさばとした
親子関係であれば
最高ですね。
そして
親は残された人生を
生ききり
やがて
ひとりで
死ななければなりませんね。
死ぬと言うことを
意識し
相対化できるのも
人間だけです。
だからこそ
生きるということの
内容が
問われるのです。
もう
思う存分生きて
生き尽した後にこそ
穏やかで
充実した
死を迎えることが
できると
私は確信しています。
からだもそうでしょう。
自分の苦しみに
寄り添い
いつも
自分を生かすために
働き続けてくれた体も
やがて
終息の時が
くるでしょう。
ご苦労様でしたと
からだに感謝して
体と
心が
寄り添いながら生きた自分の
すべて
隅々までが
自然に
終息していくのだと
私は思います。
自分に対する
圧倒的な肯定の中で
自立が生まれます。
いきることは
そういう
自分を成就していくことであると
私は思っています
もうツワブキの花が咲いたよ!