脳と心の使い方その10・脳は音楽のような世界・・?! |
自分の頭と体に
不安のブレーキを
掛けない
ということですね。
そして
あわてず
急がす
早々に意識で結論を出さず
脳に
任せる!
すると脳が
無意識に沈んでいる
沢山のエレメントを駆使しながら
勝手に…笑!(自律的に)
答えを見つけようとしてくれる
ということです。
さて今日はお約束通り
不安と安定を
人間がいかに
芸術として
表したかを
音楽をたとえにして
書いてみます。
実は私は音楽が
専門であったのですよ!!
でも
そっちのほうは
もう
かなり忘れちゃってるけど。。。笑!
音楽というのが
実は
不安定と安定という
二つの要素で
成り立っているのを
ご存じですか?
分りやすく言うとね
私の子供の頃は
学校で
最初に習うのが
・気をつけ
・礼
・直れ
というもので
そのとき
ピアノ(オルガン)で
・気をつけ・・・・ドミソ
・礼・・・シレソ
・直れ・・・ドミソ
という節がつけられて
それに合わせて
やりましたけど
今もそうなのかしら?
つまり
この
・ドミソ・・・というのが
安定で
・シレソ・・・というの
不安定で
・直れドミソで・・・また
安定に戻るのです。
そして
音楽はこのふたつのコードの間に
ドファラという
サブ的な展開をする
中間和音をいれて
ドミソ→ドファラ→シレソ→ドミソ
という和音の連結の
・起・承・転・結・・・を
基本にして
創られています。
それは
和声といういわば
数式のようなもので
和音を基にして
連結し
創られていきます。
ジャズの場合も
ちょっとそこに遊びのコードが入りながらも
同じようにブルーノートという
コード進行を基に
曲が展開していきます。
つまり
そこには
不安と安定とが
様々に
アレンジされながら
曲(音楽)を
作りだしているのですね。
つまり
安定は勿論
安定をしっかりするには
ふあんていということが
不可欠なのですよ!!!
命が常に
不安にさらされながらも
懸命に
安定しようとする
ようにです!
さらに
師走になると
なぜか
日本では
あちこちで演奏される
ベート―ベンの「第九」シンフォニーについても
それは
・起・承・転・結の
四つの楽章で成り立っています。
もともと
交響曲というのは
・第1楽章 - ソナタ形式
・第2楽章 - 緩徐楽章(変奏曲または複合三部形式) 調は第1楽章の近親調
・第3楽章 - メヌエット 主調(第1楽章と同じ調)
・第4楽章 - ソナタ形式またはロンド形式 主調または同主調
(ウキペディア)より
という形式で
最初は
何となくそこにテーマや物語があったのを
はっきりと題をつけて
一貫したテーマを与えたのが
ベートーベンです。
ベートーベンの音楽は
第1楽章は安定して自分及びその世界を
語りを始めます。
そして
第2楽章は静かに深い語り
・悲しみや
・精神的懊悩とでも
いいますかねえ~。
そういう生命の宿命みたいな世界を
提示します。
そして
第3楽章になると
そこから今度は
生命が行動化しはじめ
イキイキと生き返り
躍動をし始めます。
そして
第4楽章 は
それらを全部網羅して
一つの<完成>へと向かって
驀進します。
これって
私達人間の<心の様>
そのものでしょう!
第1楽章…存在の確認
第2楽章…存在の苦しみ
第3楽章…そこからの和解と行動=立ち上がりと脱出
第4楽章…すべてが整合性の中で承認と肯定をされる
ベートーベンは
それまでの交響曲の定番形式であった
第3楽章のメヌエット=舞踏・仲良し的和解の世界を
メヌエットみたいな
ヌルイもんじゃ~ものたらねえよ。
といったかどうか知りませんが・・・笑!
もっと
・スピード感と
・躍動と
・遊びが
エネルギーとして
生命の中で溢れてくるんだあ~という
スケルッツオに変えてしまいました。
だからこそ
第4楽章では
全てが
フィナーレに向かって
驀進していきます。
しかし
ベートーベンは
第九でまた
第2と第3を入れかえて
第3にAdagio molto e cantabileを
つまり第四の
大いなる歓喜の前ぶれの
静けさの世界を
持ってきます。
そして
第4楽章は
あの低弦の
素晴らしいレスタテイーボから始まり
そして次第に
人生の高揚が
合唱と共に
完成されていきます。
最後は
もう
ダメ押しのように
大地をゆるがすティンパニーで
地響きのように
ドン・ドン・ドン!
と
とどめを刺して
終わります。
つまり
全てが
完成のダイナミズムのなかへとの
(安定の中へと)
収斂されて
完結!
していきます。
つまり
全ては
全てを包括する和音である
ドミソ・・・という
安定の中へと
収集、
或いは
止揚されて
行くのですよ!
どんな曲も
不安定のまま
恨みつらみや
やり残しなんかのままでは
終わらない!
そういう音楽があったら
もう
気持ち悪くて
誰も
音楽なんか
聞きたくなくなるもんねー!
私たちは
極論すると
安定と不安定いう
二つのコードの中で
脳と体が
ものすごいスピードで
現象を起こし
最後は
安定=答えという整合性の中で
自分が完成していくのです。
面白いことに
コンピューターも
0と1の二つから
成り立っていて
0=電圧がオフで
1=電圧オンという
スイッチの切り替えをしながら
すさまじい速度で電気が
明滅しているですね。
たぶん脳の中もこういう風な
現象が起きていて
しかし
コンピューターよりもっと
大量な
リアルデーターで
複雑な
抽象的心理をも
システム化されているのだと
思います。
そういう世界を
私たちは生きているのだと
思いますよ・・・。
つまり
「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です。
中略
せはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です。」
と
宮沢賢治が書いたようにです。
※ いよいよ来年の二月頃
私の書いた宮澤賢治の本が
出版されそうです!
よろしくお願いいたします。
だからこそ
自分という
自意識という
狭い、
しかも
思いこみによる
不安と恐れなんかで
自分にブレーキを
かけちゃー
いけません。
なんとも
もったいない
話です!
はっきりいうと
不安や恐れも
自分が自分の脳に
仕込んだもので
それが
過剰に
フラッシュバックしてくるだけです。
自分を信じ
自分を信頼し
そして
他人を信じ
他人を信頼して
人間を
信頼して
生きることですよ!
これ
私の
<遺言>です。
今もし
貴方が不安や恐れに
とりこまれているなら
それは
体の体験がなかなか
頭(脳)の理解に
ついてゆけないからなのです。
だから
ゆっくり
自分に
安心しなッ!
と
言い聞かせて
少しずつ
自分への信頼を
体の中へと
定着させていくことです。
※(自己暗示をかけていく。)
音楽だけではなく
全ての芸術のなかには
不安と安定ということが
素になって
コード化されていると
私は思います。
そして
人間が
生きる
ということも
そういう事だと
思います。
でも
最後は
全てが
肯定されるのです。
次回はできたら
ベトーベンの第九の合唱にの歌詞
シラーの
「すべてを神へ委ねよ!」
という詩の
その
<神>とは
なにか・・・について
書こうと思いますが
書けるかなあ~???
では
またね!
映画から自由奔放に読み取ってみよう
第2回「オアシス」映画監督イ・チャンドンの世界
!
第一回「こわれゆく女」より
映画監督 ジョン・カサヴェテスの世界。
生きようぜ!
素敵なクリスマスプレゼントを本当に本当にありがとうございます メリークリスマス✨🎄✨
こんにちは。
ポンこと申します。
ブログいつもありがとうございます。
コメントするのは初めてで緊張しますが、コメントを受け付けてくださるというお言葉で勇気を出してみることにしました。
「不安からの脱出」の内容が現在の自分にあまりにも合致することに驚き、何度も読み返して考えています。
自分を肯定すること、自信を持つこと、自分の本心を分かってあげること、緊張感を取ることの難しさを感じていますが、朝の祈りのノートを始め、焦る気持ちが少しずつ落ち着いてきました。
少し自己紹介させてください。
小さい頃からしんどい思いがありましたが、何なのか分からず、きっかけは長時間残業からきた体調不良でした。
最初は身体の病気になったと思いましたが、程なくして原因は精神的なものと気づきました。
カウンセリングを受け、小さい頃からの怒りを出すよう導かれましたが、この時点ではその大切さを理解できておらず、また、今になって分かった事ですが、親退治の恐怖感で一時期カウンセリングは停滞しました。
ヨガや温泉で体調改善したように感じていましたが、
まるで、キッチンだけピカピカにして、床下収納はぐちゃぐちゃといった状態です。
それを自覚していながら、どうしようもなく怖くて床下収納の扉を開けることができませんでした。
ですが、昨年の6月、ほんの些細な母との言い合いから、床下から火山が噴火したかのような爆発が起こりました。
再び駆け込んだカウンセリングで「母と娘の共依存」ですと言われ、聞いたことのない共依存という言葉を検索して、
denshinbashiraさんの「共依存からの脱出」に運良く出会うことができました。
以来、いろいろなことを勉強させていただきました。
体調不良はパニック障害でした。
自他の分離を読んで世界が変わってみえました。
何度も何度も覚悟を確かめ、どれほど怖くても二度と戻りたくないと思い、
(ダンボールでなく)布団を叩いたり、ノートに小さい頃悲しかった事を書いたり、
自分を喜ばす事を考えたり…