主観を相対化する! |
言葉を巡らせながら生きています。
だから
言葉ひとつで
元気になり
言葉一つで
傷ついています。
それらの言葉も
自分の
主観で
解釈した言葉ですね。
自分の主観で解釈したことばで
元気になり
自分の主観で解釈した言葉で
傷つくのです。
だからね、
では
自分はどんな主観で
いきているかってことが
問題なんですよ。
自分の主観がどうであるか…ってことを
見るには
それを客観的に眺める必要があるのですね。
客観的に眺めるには
<意識的>に
そういう作業をしないと
だめなのです。
なぜなら
ほおっておくと
人間は
どんどん主観だけでいきていきますから。
それは
脳の閉鎖性で
そうなってしまうのです。
しかし
脳の中にも
ミラーニュロンという
自分を客観的に見る回路があります。
おそらく
人間は
自分の主観だけでいきていると
滅んでしまいますから
そういうニューロンというか
能力も獲得したのではないかと
私は
思います。
だからこそ
集団社会を
維持しながら
生き延びた・・・のではないかなあ~と
思うのです。
自分の主観を
<意識的>に客観化する時に
相対化するという作業が
必要になってきます。
相対化の作業とは
たとえば
自分が正しいと
考えていることは
相手である
・Aさんから見ればどうなのか
同じように
・正しいのか
それとも
・正しくないのか
もしかしたら
・違う意見なのか・・?
という風に
Aさんになってみて考えます。
同じように
・Bさんから見ればはどうなのか
さらに
・Cさんににとっては
どうなのか・・?
という風に
自分を外側からみて
相手にてらし合わせて
どうなのか
こうなのかと
いろんな角度や
観点から
検証してみることを
自分を相対化すると
いいます。
自分にとっては
当たり前だけでど
他人にとっては
どうなのか
あたまりまえなのだろうか・・・?
という風に
・自分を疑ってみるのです。
自分の主観の内容について
つまり
自分という人間の内容は
相対化して
どうなのか・・?
ということです。
そういう作業ができるようになると
自分というものが
いかに独りよがりであり
思い込みの中で生きているかが
わかってきます。
そして
自分の主観だけを
抱きしめ
それに
しがみついて
主観だけに
凝り固まっていると
楽ではありますが、
他者との中で
トラブルが起きると
重苦しいし
行きづまってきます。
なぜなら
解決する方法が
見つからないからです。
そういう場合
相手に責任を転嫁するか
逃げるか
で
処理してしまうのですね。
この相対化という
頭の中の
作業ができてくると
どんどん理性が磨かれていきます。
理性が磨かれてゆくと
世界が
立体的にみえてきます。
つまり
賢くなり
生き方が
楽になります。
でも
なぜ人間は
主観に凝り固まり
主観にしがみつこうとするのでしょうか?
それは<自他の分離>が
できていないための
分離不安という感情が
こびりついているからです。
つまり
自信がなく
不安の中にいるから
主観から離れるということに
自分のエゴ(自己愛)の感情が
渦巻いているいて
自分を喪失するのではないかという
不安と
危機があり
自分で責任を取ることから
逃げようとして
だからこそ
主観にしがみつくのです。
つまり
自分に執着する感情が
・暴れるのです。
※この感情の大元は
親子関係にあります。
だからこそ
そういう感情を振り切って
・<意識的>に
・相対化しようとする
・意志が
・必要で
・大切なのです。
そして
相対化をするためには
豊な経験と
知識が
必要です。
つまり
主観と
・<対立する知識>とが必要なのです。
たとえば討論会なので
そこに
対立する知識が
あるから
あゝこういう考え方も
あるのか・・・といいう事が
分ってきます。
その時
その知識に照らし合わせて
過去の経験したことが
役にたってきます。
そういえば…云々…という風にです。
だから
たくさん
勉強をしないと
ダメなのですよ
断っておくけど
受験勉強なんかではないですよ
ほんとうに
自分を究めようという
知識の
勉強です。
自分を相対化するとは
まず
自分を疑ってみることです。
その時
心してほしいのは
・自分を疑うとは
・自分の人格を疑うことでは
・ありませんよ。
自分が思いこんでいることが
ほんとうに
その通りなんか
どうなのか?
ということを
疑うのです。
自分が思いこんでいることは
他者にとっては
そこに正当性や
妥当性が
あるのか
どうか。
まあ、
こういう風に
自分を相対化できていくと
その脳の回路が
どんどん磨かれていきます。
その回路をつかわないでいると
いつも
自分の主観でしか
物事を見れない人間になってしまいます。
そういう大人が
たくさんがいるでししょ!
以前
脳は空より広いか?
というお話しを
書きましたが
こういう風に
自分を相対化して
客観世界を
どんどん
獲得していけば
もしかしたら
脳の中は
空よりひろいかも知れませんね…笑
広い心
それは
どんどん
自分への執着と固執を
離れ
広い広い世界で
生きる事ができたら
なんて
素敵かと
おもいます。