朝はいつも新しい! 名前こそは存在の証! |
ずーっと昔に読んだ
「ゲド戦記」という本のことを
思い出しました。
物はなぜ名前があるのか
人間にはなぜ名前があるのか、
つまり
名前があるということは
それが
認識され
受け入れられたということです。
つまり
人間は生まれた瞬間から
受け入れられること
承認されることを
前提に
生まれてくるのです。
そうはいっても
人間の世界は
いろいろな
困った事情や
厄介な人間たちで
そうはすんなり
受け入れられ
承認されないかもしれない。
だから
哀しい思いや
辛い思いをする人も
たくさんいると
思います。
でもね、
でも
自分くらいは
自分のことを
きちんと受け入れ
承認し
そして
誇りをもちませんか。
自分の名前こそは
自分が存在するという
尊い証ですよ。
匿名で
自分の正体を明かさず
炎上させるなどということは
哀しいね!
残念やね。
前回もかきましたが、
インターネット社会は
本来は
権力者に握られていた情報が
広く民衆の手へと
解放されたということが
素晴らしいのです。
それは
権力のヒエラエルヒーが
解体し
自由で
平等な
情報の開示という
高等で
高次な人間社会を
創り
人間が
幸福になるためです。
それは
自分の自我のゆがみや汚れを
理性で
コントロールし
さらに
お互いの信頼の上にこそ
成り立つ社会です。
でも
これも
理想論かもしれません。
しかし
私は
せめて
自我の主観をそのまま放り込む(書き込む)のではなく
客観的に
相手の立場を考えたり
熟慮すること
そういう自分の客観性を磨くことを
努力する。
そのうえで
甘えや依存のない文章を
責任をもって書くことが
とても大事だと思う。
そういう人々が
一人でも
多くなること。
そういう自分を
育ててもらいたいと
思います。
さて
明日から
1年に1回だけのワークショップです。
でもね~
本当に
自立しようする人々が
集まってくれます。
そういう真剣な姿を見るたびに
私は
感動します。
だからこそ
人間も
人生も
信ずるにたると
ほんとうに
そう
思います。