「男はつらいよ!」その3.民衆にあげた! |
奥友志津子さんが
若き日の渥美清氏の写真を送ってくださいました。
それを見ると
何とも精悍な顔つきであり
厳しい中に執拗さを含む攻撃的な右目と
いかにも聡明な左目の
渥美さんの顔があります。
あゝこう顔のひとが
あの
寅さんを演じていたのかと
思いました。
そう思うと
果たして<俳優、渥美清>として
寅さんを演じることは
彼にとっては
どうであったのかと
思うのです。
「男はつらいよ」シリーズがはじまるまでの
渥美さんは
たくさんの映画に出演されており
様々な人間を演じられたのだと思いますが
「男はつらいよ」が成功するにつれ
それでもほかの映画やテレビの仕事も
されていたようですが
寅さんのイメージが
壊れないようにというためなのでしょうか
だんだんと
寅さん中心へと
シフトされていったようです。
ほんとうに
寅さんのイメージを大事にされていたようです。
そんな中でも
渥美さんが<尾崎放哉>をやりたいと思われていたことが
気になります。
<尾崎放哉>は俳人ですが
かなり厳しく寂しい人生を生きた人です。
寅さんとは逆に
東京帝国大学を卒業した英才であり
当時のエリートコースを驀進していたにもかかわらず、
それを放り投げ、妻子も棄てて
極貧の俳人生活へとドロップアウトした人です。
性格も鋭敏ではありますが
かなりの偏屈とディスカウントの自我をもち
民衆にたいする拒否と侮蔑という
偏ったプライドに
苛まれ続けたひとでもあります。
俳人としては
種田山頭火と同じような
<自由律俳句>をうたった人です。
彼の俳句は確かに孤高の
緊張感は優れているのですが
私はなんとなくその感傷が
あまり好きではありません。
彼の自我憐憫が
女の私から見ると
幼いように感じ、
エリートの甘えや
ナルシズムを感じますので
だからちょっと距離を置いています。
でも
中には
熱烈な支持者もいて
現に私の知人などは
熱烈の信者化しています。
ただ
その生活は
ほんとうに想像を絶するほどの
孤立と孤独の
極貧の中であり
そういう中で
<放哉>のカミソリのような頭脳と感性が
真空を切る刀のような俳句へと
昇華されていることは
確かです。
そういう<放哉>を
渥美さんが演じたいと
思っていたとすると
それは当然のこと
いわゆる
<寅さんの世界>とは
ことを異にします。
それは<寅さん>とは
真逆の世界でもありますし
<放哉>が憎しみや侮蔑をしていた
民衆の真っただ中こそ
<寅さん>が生きている場所でもあります。
ただ
誰とも繋がれないというところは
同じですが
しかし
<放哉>が、
自分を高みに置いていたのに比べ
寅さんは
ずっとずっと底辺に自分を置き
あきらめています。
あきらめきって(悟りができている)
自分をそこに置いているのであり
円熟しているのは
<寅さん>の方です。
<放哉>も最後にはやっと
自分の世話をしてくれた
周囲の小さな人々(民衆)を
受け入れていきますが
そこに行き着くまでの
<放哉>は
彼の傲慢が極まって
民衆を憎み、遠ざけていたのでは
ないと
私は思います。
そうではなく
<放哉>の
傷のふかさが
民衆への侮蔑と憎しみをうみ
おそらく
<放哉>自身も
自分の中にどうしても
湧き起こってくる
そういうネガティヴな意識や感情に
◎苛まれつづけたのだと
思います。
どうしても
人を
受け入れ
愛することが
できなかった。
そういう深い深い傷の中で
もがいていたのだと
思います。
そして憎しみや侮蔑は
自分の外側に向けられていましたが
実は
彼が一番憎しみ、侮蔑していたのは
自分自身です。
そういう人間を
渥美さんは
どのように演じようとしていたのでしょうか。
そして
なぜ<放哉>を選んだのでしょうかね~?
結局この企画は事情があって流れ
<放哉>の代わりに<種田山頭火>の企画があがり
その脚本を渥美さんの大親友である
早坂暁さんが書きました。
しかしせっかくのこの企画も
クランクイン寸前で渥美さんが降り
代わりにフランキー堺さんが演じ
大成功をおさめました。
なぜ、渥美さんがこの企画から
降板したかは、
渥美さんの体調不良で、ということもあるらしいのですが
実は<寅さん>のイメージが壊れるのではないかという
懸念もあったからではないかと言われています。
同じ放浪の人でも
<山頭火>と<寅さん>は
明と暗で
<山頭火>も最後には
明への光を見出していきますが
自己ディスカウントの怨念に
苛まれます。
そのディスカウントと怨念を
笑いとばして生きているのが
寅次郎ですから、
やはりそこにも
大きなギャップがあります。
そしてね、
私は、こう考えます。
<フーテンの寅さん>は
もう
大衆に
所有されてしまった。
大衆の<たからもの>になってしまった。
渥美さんはそのことを
わかってしまった。
だから渥美さんは
自分を
大衆に
あげたのだと
思います。
大衆がもう
「寅さんはいらねーな!」
というまでは
渥美さんは寅さんになりきり
その代わりに
自分を諦めたのだと
思います。
ただ、そのことは
<俳優>渥美清にとって
どれほど残酷な、過酷なことであったかを
思わないわけには
いきません。
もしかしたら
渥美さんの本質は<尾崎放哉>のほうに
近かったのかもしれません。
だから
寅さんになりきるということが
どれほど渥美さんの内面の中に葛藤を起こし
自分の中での格闘していたかは
もう想像を絶すると
思います。
単に演じるための仮面を被るなんていう
生易しいものではなかったと
思いますよ。
おそらく
家をでた瞬間から<寅>になりきり
家に帰った瞬間に
自分に戻るという
はりつめた中で
神経をすり減らす毎日が
27年間も
持続されていたということでしょう。
ひと時も
自分の自我が出ないように
用心して
感情をコントロールし
自分を見張り
周囲に
気を配り
さらに
演じていくということが
どれほど大変であり
精神と神経とを
すり減らす毎日であったか。
聞くところによると
渥美さんの家では
ほんのちょっとしたことで
渥美さんの癇癪のスイッチがはいり
暴力をふるったということも
あったらしいですが
それも
わかる気がします。
家族だけには
甘えたのでしょう。
反対から見れば
家族だけにしか
赤裸々な自分を
さらせなかったと
いうことでも
あるのでしょう。
おそらく家族の方も
腫物にでも触れるように
その顔色を
伺いながらの
大変な暮らしであったかと
思います。
そして
それも
これも
ただ無心に純粋に寅さんを愛し
映画館に来てくれる大衆のために
渥美さんは
自分を彼らのに
あげたのだと
思います。
物事を成し遂げていくということが
どれほど大変なことであるかです。
このことは明日詳しく書こうと思っています。
その中でも
自分のことを成し遂げるのではなく
自分をギフトするということを
成し遂げることが
もう
神業のごときことであり
苦労と
辛抱が常態化する中に
自分を置く
修行のような毎日であったことでしょう。
人間は
神ではなく
人間ですからね。
そういう
渥美さんの人生の重たさを
思うと
この「男はつらいよ」の価値が
わかります。
おそらく映画の現場では
渥美さんも共演者や関係者のかたも
苦労をかさね、
辛抱をかさねるなかで
海のように
山のように
それぞれの人生が
折重ね、
綴られて
27年にわたる大傑作を
生み出したのだと思います。
素晴らしいですね~!