春になると。 |
芳草天に連なり
春将に暮れんとし
桃花乱点 水悠悠たり
吾も亦従来 亡機の者
風光に悩乱して殊に未だ休せず
(良寛)
春の芳しい草は豊かに、その緑は天にまで繋がり、
その春ももうすぐ終わる中で
桃の花が川面に散って美しく乱れ
水ははてしなく流れている。
俗世をはなれた私であるけれど
晩春の風景に魅せられて
心が躍動するよ。
(伝心柱の強引な訳)
春になるといつも良寛の詩を
思いだします。
水が温み、草が萌えだして
瑞々しい春が来る。
そして桃の花も桜の花も
いっせいにまるで
扇をひらいたように
咲き誇り
私たちを包みこんでくれます。
良寛はいつも
桃の花が藍色の川面に散り
そしてその川は
ずっと天にまで続いていると
詠みます。
そこに良寛の宇宙観があります。
私はそれが好きで
そこに
世棄て人でありながらも
色彩の躍動の中にいる
良寛の色気を感じます。
もっというと
世棄て人でありながらも
どこか
人(人間)を
恋しがっている良寛の心の
微かなるさざめきを
感じるのです。
このところ
「五体不満足」を書いた乙武君の不倫のことが
騒動になっています。
乙武君もいろいろとあるのでしょう。
ただ私は
人間が生きるということにある
生身の人間の
性と自我の<狂>を
思います。
生きることは大変で
厄介です。
それでも
春には花が咲き
そしてもうすぐ
若い新芽も出てきます。
そういう何気ない時の移りの中に
私は密やかに
自分が愛されていることを思います。
ほんとうに
本当にささやかに
自然がくれるギフト、
惜しげもなく
毎日変化して私たちに与えられる
自然からの愛情です。
桜の花も
桃の花も
そして芳しい草たちも
その初々しい綺麗さの中に
人間を包み込み
いつも一緒に生きてくれている。
自我がやけを起こすこともある。
性が暴れることもある。
でもね
それも含めて
人間の<存在>があるんだね。
そして
そういう
存在の<狂>を抱えながらも
自然に包まれて
私たちは
ふと我に帰り
着地する。
そして再び
歩き始めるんだね。
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