創作の根源にあるものとは。その1 |
まるで端正な
短編を読んでいるようでしたね。
それは
彼の感情が煮詰まって
集中がたかまったからです。
つ・ま・り
そこにはまぎれもなく
<亀>さんという人間の
<正直な感情の核>が頭を表し
その<核>を中心にしてできた磁場に
吸い寄せられるように
彼の体験したイメージや言葉が
浮上して
結実したからですよ!!
創作とは
その人間の感情が煮詰まり、
その人間の
核の磁場がしっかりと立ち
そこに
その人間の中で
<純化されているもの>が
吸い寄せられるように
現象化して
顕われるのというのが
必須条件なのです。
そして
その核の磁場で
意識と無意識の格闘というか
共同作業というか
そういう中で
推敲されたイメージや言葉が
今度は外へと
表出していく時
創作が生まれます。
いい作品というのは
こう言う風に
頭と体が一つに統一され
その人の<全体性>が統合された核が
つまり
・自分という一本の核に
・すべてが収斂されていくときに
生まれます。
反対に
その感情の煮つまりと
集中のたかまりのないものは
どうしても
散漫になり
散逸になり
全体ではなく
体が欠落して
頭で組み立てたものという
・偽造感がただよい
薄っぺらになってしまいます。
つまり
そういう作品は
文字として成立していても
皮膚で感じる
臨場感がないのですね。
なぜ臨場感がないかというと
それは
≪純化>されたものではなく
加工品だからですね。
加工品というものには
必ずその人間の純粋でないもの、
不純物が
混ざるからです。
逆に、
自分の中の感情の煮つまりと
集中の高まりを
しっかりと相対化していけばいくほど
自分のイメージや言葉と
・体が一致していきます。
作家というのはいつも
そういう風に
自分の中に起きることを
粗雑に扱わず
安易に整理せず
処理せず、
加工せず
さらに安直にレッテルを貼らず
或る種の混沌、
無意識の混沌とでもいいましょうか
そういう
・シンクタンクを維持できていないと
ダメなんだと思います。
自分をごまかさず
グサリと突き刺さッたものを
ごまかさず、
しかしそれに溺れず
自分の感情の高まりを
しっかり
自分の理性という鏡で
・相対化する。
これがかなりキツイ作業なのですが
それがなくてはお話にならない。
そういうしんどい作業の中から
すぐには形にならないが
あるとき
ある感情の煮つまりを契機に
自分のシンクタンクのなかに埋蔵していた
言葉やイメージが
一挙に吹きだしてきます。
そういう連鎖が
脳及び体で
はじまるのです。
それは
自分の脳と体を媒介にした
その人間の世界の<純粋>が起こす連鎖であり
純化されているからこそ
そこから
派生し
伝播する
人間の普遍性を持つ現象として
読む人の共感を得ていくのですね。
創作の根源にあるものとは
常にその人間の無意識のシンクタンクに
貯蔵された
その人間の純粋なるものが
生きるという臨場の中で
どうしても
<己の世界を承認したい>
或は
<承認されたい>
という
その人間の<存在証明>であり
根源的なる
希求です。
そういう
自分の希求を
大切に
扱うこと。
大切に
掌で
温めること。
そして
それが
自分にも
他者にも
ある
普遍的なものであることに
気づくこと。
だから
グサリと傷ついて
いいんです。
そういう中からきっと
亀さんの素敵な作品が
生まれてくると
思います。
見事です。