若者たちへⅡ その8、世界を相対化する! |
脳が解明されるにつれ
今まで固定化されていた
・既成概念の事象が
どんどん相対化されていくと
思います。
既成概念とは
ひらたくいうと
・ひろく当たり前だという風に
・考えられ
・信じられていた
様々な概念のことです。
なかでも
<信じる>というかたちで
概念化されているものが
たくさんあります。
<信じる>という心理現象は
人間にとって
いまだ
・解明されていないことを
・或る仮説でもって
1、そうではないか、
2、きっとそうであろう
という風に
・実証されずに
・思いこむということです。
それは
・目が覚めている時に
・頭の中を去来する
・外的世界とのあいだで起きてくる
・意識現象に対して起きる心理で
・不思議なもの
・未明なもの(解明できていないもの)
・理解の範疇をこえているもの
に対する
怖れと不安があり
それに名前や文脈をつけて
明文化することで
・安心しようとする
人間の心理です。
・信じるということは
これまでは
相対化しても
・解明できなかったことを
とりあえず
棚上げして
そこに
・自分達の願望と
・意志を乗せて
・幻想化したり
・神秘化してしまうことです。
その最も代表的なものが
◎<こころ>と<宗教>という
現象です。
でもね
よくよく考えてほしいのは
宗教たりとも
それなりに
相対化されているからこそ
・様々な種類の宗教があり
・宗派があるのですよ。
<こころ>という現象も同じで
その存在条件で
ひとそれぞれが
様々に
違います。
つまりそれは
自分達で相対化して
自分達が理解しやすい
あるいは
人間の都合のよいように
加工(脚色)されているとも
言えます。
なぜそうなるかというと
それは前回書いたように
・人間の認識そのものが
・それぞれの
・生存条件で
まったく違うものになってしまうからです。
つまり
人間の脳の世界そのものが
・意識と
・無意識の
二重構造であることから
・意識で明文化(説明)できるものと
・できないものとがあります。
つまり意識ではっきり理解し
説明がつくものと
つかないものの隙間に
宗教や心という概念が
成立したのだと
私は思います。
脳は自分のもっている
遺伝情報と
後天的に獲得した
外部世界との関係で得られる情報を
駆使して
自分のアイデンティティー、
すなわち
・存在の安定を図るための
・合理性(理屈化・説明化)を
得ようとします。
その時
自分にとって
・未解決なもの
・理解の範疇をこえているもの
・言葉によって合理化できないものを
神秘として
処理してきたのです。
つまり
自分にとって
・未解決なもの
・理解の範疇をこえているもの
・言葉によって合理化できないもの
を
◎どのように解釈するか・・・という
◎脳の中の処理現象として
<宗教>や<こころ>
その他が
あるということです。
そしてそれらも
実は
・脳が作りだした合理性であり
・概念であり
◎脳内現象でも
あるのです。
・目が覚めている時に去来する
・外的世界との関係で起きるすべての現象を
どのように
自分にわかりやすく説明するか
或は
自分が納得できる言葉で理解しようとするか
という
脳の
・自己合理化現象なのですね。
※合理化とは
つじつまを合わせると
いうことです。
そして
・信じるということも
・脳の自己マインドコントールの一つです。
脳にはその人間の(生命体の)安定をはかるという
第一義的な目的がありますから
その人間が
・自分で
・仮想し
・合理化したことを
◎まるで真実のように思いこませます。
その例としていつもあげられるのは
イソップ物語にでてくる狐の話で
狐は
自分が食べられない葡萄を
「この葡萄はきっと酸っぱいにちがいない」と
仮想して合理化してしまいます(自分に説明をするのです。)
さらにそれを
「酸っぱいに違いない」から
「きっと酸っぱいのだ」
という絶対的固定化へとはかり
それを信じこむのです。
信じ込んであきらめます。
脳は
・いったん信じ込むと
今度は
どんどんそれを
・既成事実化しようとします。
・何でもかんでも
・都合よく
それと
・結びつけて
・自分の信じ込んだことを
・強化し
自分の心理に
・迷いがきて
・不安定にならないように
◎既成事実化しようと
するのです。
そうすることで
その生命体は
自分にとって
・未明なものや
・理解の範疇をこえるものからの
・心理的不安定な状態を
解消しようとするのです。
それが
いわゆる
・信じる
ということの
心理的構造です。
そして様々に外的世界に反応しておきる
<こころ>という現象についても
脳のメカニズムとその内容が解明されていない
◎現代以前の人間の歴史の中では
・意識と・無意識が解明されず
いっしょくたに
・<こころ>という風に
名づけられ
処理されていたと
いうことです。
しかしもう
脳の解明はどんどん進んでいます。
<こころ>という現象が
解明されるのも
時間の問題です。
しかし
その時
人間は
今まで自分が信じていた
様々なことに
向き合わなければならなくなります。
それは
自分の幻想が打ち破られ
夢から醒めることでもあり
逆に
人間の現実がはっきりするとことでも
あります。
でもね、
以前にも書きましたが
・夢から醒めるということは
また
・別の感動の世界が
・開けてくるということでも
あるのです。
それはもっと高次で
高邁な心の
在り方です。
ただ
その次元にたどり着くために
人間にとっては
かなり
厳しい試練かもしれませんが。
でもね
<こころ>や<宗教>という現象のメカニズムが
解明されてくると逆に
心の欲望のメカニズムが解明され
・物質が溢れ
・人間の欲望が放縦になってゆくことを
・解決(歯止め)できるかもしれません。
また
・人間が
・争うということが
いかに
・独りよがりの不毛なことであるかが
わかるでしょう。
それは国家どうしや
民族が
戦争や紛争をするということが
いかに
思いこみや
勘違いに基づく
愚かしいものであるかが
わかるでしょう。
すべてを相対化する
ということは
すべてを
多様な視点で
検証するということです。
人間の学問も
科学も
実は
・人間とはなにか
そして
宇宙を含めた
・外的世界とは
なにであるかを
人間が懸命に解析し
解明しようとして
始まりました。
そしてようやく
物質の解明
脳の解明が
人類史を経て
ここまで来たということです。
でもね
実は
<こころ現象>ということも
<宗教>も
すべては
その
◎必然があり
人間が考え出したことです。
だから
それらを否定する必要はないのです。
むしろ
こころ現象や宗教が
・いかに
人間の心理の安定のために
貢献していたかを
考えるべきでしょう。
それらは
たくさんの豊穣で色彩豊かな文化を
産みだしました。
これも人類の財産です。
そしてこれからは
こころや宗教を
・いかに
・止揚して
・新しい世界を創りだしていくかが
・問われてくるのです。
それらは
いつも
・未知の世界を生きなければならない人間にとって
・物事や事象が
・不明な故にこそ
◎人間が考え出した知恵でも
有るのですよ!
さて
そのことを踏まえ
次に人間は
なにをしたらいいか・・・・。
次回最終回に
私の願いを込めて
そのことを
書きたいと
思います。
でも今日から三日間
わたしのお盆やすみを
とります。
そして
ゆっくり
頭をやすめてから
一番大切なことを
書きたいと
思います。