能勢広監督映画『広島原爆 魂の撮影メモ 映画カメラマン、鈴木喜代治の記した広島』のレコーディング現場から! |
「説明できないものが
次から次へと自分を追い越してゆく。」
鈴木喜代治メモより
○
感情にならない感情
言葉にならない言葉
映像の中に淡々と流れるそれを
映像を見ている者と
映像に託した者とが
ひとつの沈黙の中で
凝視している。
しかし
そこにはお互いが沈黙のうちに
なにかを
確認している。
深い深い言葉にはならない大事な大事なものを
あなたも私も
わかっている。
これは私が以前このブログでご紹介した
能勢広監督の企画,編集した映画
『広島原爆 一冊の撮影メモ
カメラマン鈴木喜代治の記した広島 』
のテスト編をみて
書いた言葉です。
今回この映画が完成され
『広島原爆 魂の撮影メモ
映画カメラマン、鈴木喜代治の記した広島』
というタイトルになり
今年の春から公開の予定となりました。
そして昨日
能勢広監督のご好意で
映像につける音合わせの現場に
立ち合わせていただきました。
朝10時に入り夕方5時まで
なにひとつ物音のしない
静まりかえったスタジオの中で
作曲家<植田彰>氏と
ピアニスト<稲岡千架>氏とが
映像につける音と楽想を
何度も何度もテストを繰り返しながら
一点の妥協もなく究めた音を
つけていきました。
私はその作業を
息を呑むように見学しました。
録音は玉田亮氏です。
1945年 8月6日 8時15分
広島におとされた原爆の一か月後の9月18日から
能勢広映画監督の祖父、鈴木喜代治氏は
日本映画社から派遣されて
被災後の生物及び植物の調査映像を撮るため
体調が悪いにもかかわらず
まだ放射能の蔓延する広島へと入られます。
そこで起きたことを
鈴木氏が撮影の進行に従って
メモを取っていきます。
※内容については最下段の
MOREに添付して起きますので
よかったらご覧ください。
人間が深い悲しみと
予想もつかない絶望に出遭った時
そこには
こぶしを振り上げる怒りもなく
またもしかしたら
悲しみの涙も
流れないかもしれない。
しかし
こころに突き刺さる
やり切れない慟哭は
胸の中で封印され
沈黙の塊として
その内部で振動する。
人を殺す戦争も
人間が死滅する核爆弾も
愚かにきまっているのに
いまだ戦争は絶えず
愚弄なる政治家は
核武装を声高に主張する。
あの戦争を体験した者も
あの戦争の余韻の中で生きた
私たち団塊の世代も
もうすぐ人生の
終わりの中にある今
戦争の愚と核廃絶を
成し遂げずに終える無念さを
後続の人間に託すしかない。
鈴木氏のメモは
饒舌ではない。
メモは
氏の意識の核のみを
記していく。
その氏の
厳しい沈黙と
押し殺した感情と
そして
微かにある希望に
植田彰氏の音楽が
寄り添っていく。
まるで
深い深い水底で
不純物が濾過され
透きとおった水がながれるように
音楽が
美しい。
それは鈴木氏も
映画を編集したスタッフも
そして
この映画をみてくれるであろう人々の
魂の底にある琴線が
美しいからだと
私は
思う。
植田氏の音楽は
そこに照準を合わせて
私たちの扉を叩く。
深い深い闇が
ドロドロとした怨念にならないように
厳しく究められた音に
稲岡千架氏が
その精神と指先の集中を通して
一音一音
命を
吹き込んでいく。
心だけがとりだされ
魂だけが
わたされようとするこのメモが
何であるかを
二人の音楽家も
熟知している。
映画は今年の4月には
公開されます。
またその折にも
ご紹介いたします。
皆さまに見ていただければ
嬉しいです。
1945年 8月6日 8時15分
広島におとされた原爆の一か月後の9月18日から
能勢広映画監督の祖父、鈴木喜代治氏は
日本映画社から派遣されて
被災後の生物及び植物の調査映像を撮るため
体調が悪いにもかかわらず
まだ放射能の蔓延する広島へと入られます。
そのフィルムは米進駐軍に接収されていたのですが
今回それが戻され、それとともに
当時の鈴木氏が書き残した撮影メモの手帳も
戻されます。
孫の能勢広氏はそれを
小さな映画に創りました。
爆心地へと向きあうそのメモのなかで鈴木氏は
撮影者としての使命を
究めて淡々と遂げようと
映像を撮ってゆきます。
だからこそ
そのメモが生きています。
爆心から一か月後の地で
骨を広います。
そしてそこには
草が生え
小さなトウモロコシの苗も生えている。
黒い原爆ドームの向こうの空には
雲が流れ続けます。
しかしもともと体調を崩されていた鈴木氏は
腎臓炎を発病され
次の長崎へとは向かうことができず
広島の日赤病院へと入院。
その病院のなかでも
夜、子ども達のうめき声が聞こえ
眠れません。
その子たちを痛み「可わいそう」とのメモがあり
7名の子供が死亡します。
20日間ほど入院を退院をされて
鈴木氏は
東京へと戻っていかれました。
感傷や感情に流されず
胸にこみ上げるものを
抑止しながら書かれたメモ。
しかし
爆心地の映像を撮られた鈴木喜代治のメモは、
いっさいが死の焼け野原となり、
瓦礫のほかには何もない、
荒涼たる原爆投下の跡を、
なによりも
臨場に
語っているように
思います。
悲しみも怒りも封印しながら
記すべき言葉が
何も見つからないこと。
このことこ
その中に
氏の人間への鎮魂があるように
私は思います