●時代は大きく変貌しようとしている。その2 |
読んでくださる方も大変でしたでしょう。
なるべくわかりやすく
そして少しずつ書いていきましょう。
昨日は
これからの時代は
・脳と体のリアリティーに基づいた
脳と科学の情報時代であると
書きました。
では、
脳と体のリアリティーとはなにかというと
その人間に
●実際に顕われている
その人間の
●真実の現象のことをいいます。
わかりやすくいうと
自分は○○のつもりであるが
実際に現象として
顕われているのは
△△である。
ということです。
つまり本人は気づいてはいないが
△△こそは
その人の脳と体の本音が
顕われている。
ということです。
人間の脳のなかは
意識と無意識の
二重構造であり
意識では○○のつもりでも
実際に行っているのは
△△で
自分以外、つまり
他者に見えているのは
△△の方です。
人間は常に自己イメージを描きながら
あたかも自分が
自分のイメージにかなった行為、行動を
しているかのように
・錯覚したり・思いこんでいるが
実際の行為、行動には
その人間の本心や本音のほうが
出てしまいます。
つまり
人間は
無意識の裡に
その人間の本音と本心を
生きてしまうのです。
いくら立派なことを言っても
素晴らしい思想を掲げていても
実際には
その人間が利害を優先していたり
自己保身であったり
エゴ丸出しであったりというようなことが
実は
如実にでてしまうのですよ。
逆に
正直なことや
その人間の美しいことも
ちゃんと現れます!!
人間は案外正直に
自分を表現しながら
生きています・・・笑!
それは脳と体がいつも
その人間の本心のほうを
優先しているからです。
その時
無意識を形成しているものに
その人間が属している
社会や集団の総体の無意識が
大きな影をおとします。
例えば
そして先日ブログで書いたように
これまでの
日本の社会は
上下の序列意識が
人々の無意識の根底にあり
それが目に見えない形で
社会を規定していました。
つまり日本人は
無意識のうちに
序列ピラミッド(ヒエラルキー)のなかで
自分を位置づけ
その感性と感覚と価値観が
無意識の潜在意識として
その人間の行為、行動の動機付けにも
なっていたということです。
自分よりこいつは上で
あいつは
じぶんより下だという風に
無意識で差異をつけ、
それは
無意識に
人間関係のなかでも
作用していると
いうことです。
だから社会学的にいうと
これまでの日本社会は
その潜在的なヒエラルキーが
貫通している社会であり
多くの人は
無意識に自分を中くらいに位置付けて
いきていると
いうことです。
つまり多くの人は
よく言われる
・普通という
上でもなく下でもない
位置に
自分を置いており
そういう無意識のヒエラルキーの基に
日本の社会の全体が
構造化されているということです。
これが無意識に人間の自我に翳をおとし
劣等感や優越感をも造り出して
その人間の自我を汚してしまいます。
会社でも学校でも、その他の集団でも
業界でも子供社会でも
そういう無意識の中で
人間は自分の
脳の無意識のなかの動機付けによって
行為を選択し
行動しているのです。
また
意識的な行為行動もしていることは
しているのですが
無意識行動に比べれば
ほんの少しです。
つまり
人間は自分の脳と体の
リアリティーを感じるものに沿って
生きているということです。
しかし
それは無意識であり
その無意識を相対化して
意識に転換するには
高い知的で自覚的な
・自己意識操作が必要です。
また無意識の場合、
行為行動は
まったくスムーズに運ばれますが
意識的な行為行動は
自分の無意識とのズレや葛藤があり
ストレス(疲れ)を伴います。
そして
個々にはそれぞれの矛盾を孕みながらも
その個の無意識の総体,総意として
現れるのが
その人間たちの社会意識です。
これまでの社会は
そういう人間の無意識の総合として
様々に社会が現象化してきたのだと
いうことです。
それは
脳が解明される以前には
或る種の神秘性や
非合理性や
宗教的合意を
内包しながらも
一定の合理性と論理性で
カヴァーしつつ
その社会を構成する人間の
・合意や
・暗黙の了解
・共同の幻想として
その社会の通底に流れる
・社会意識として
共有されていきました。
社会や国家としての共同理念や
政治思想や
宗教観や
社会規範、常識等々として
今も
共有されているということです。
そしてそういう風に
社会の共有としてあるもの底の
もっと
底には
社会の共有意識と個々人の脳と体の
本音とが
重なり合ったり衝突しながらも
現象化している
個人の
<存在のリアリティー>が
常にあり
それこそが
社会の原動力として
働いているということです。
つまり
社会の基の
眼には見えないところで
その人間の脳と体の無意識情報が為す
個々人の行為行動が
赤裸々に顕われて(現象化して)おり
実はそこにこそ
人間の有史の
リアリティーがある
と
いうことです。
※存在とはその人間に起きる生命現象のすべて
ことを意味します。
脳が解明される以前は
人間の脳と心とは
ベツモノであり
脳の他に
<こころ>という現象が起きるという
・二元論が支配していましたが
現在は
心も脳が創りだすものであることが
解明されています。
そして宗教もまた
人間が創り出した
フィクション世界です。
これまでの人間の有史は
いつも
素晴らしい理念や道徳や思想を
伴いながらも
どうしても
戦争や争いが絶えず
常に権力構造のヒエラルキーの基の
差別や格差が
消えることはありませんでした。
それはなぜなのか?
それは未来では解消されるのか?
について
次回書きたいと思います。
心が和みます!!