シリーズ ・優れた人間になろう!その2 頭(脳)を上手につかう! |
そんなことをわかる人など、誰もいないと思いますよ。
人生は想定外の事ばかり起きる、
未知の世界を生きることなのですから。
生きることは、生きてみないとわからないし、
逆に生きているとだんだんわかってきます。
つまり、たくさんの経験や体験を積み、
たくさんの知識を得ることで
人間とはなにか、社会とはなにかが
やっと見えてくるのですね。
そしてさらに
上手に生きるためには
●頭(脳)を上手につかうことだと思います。
上手に頭(脳)をつかえる人が優れたひと。
優れた人=自分の人生を運転するハンドルをもっている人と
いうことで、
今回のタイトルを「優れた人間になろう」としました。
なぜなら、生きることのすべては、
人間が、
・ものごとに直面しては、体験し、経験を積んでは、
それを基に
・自分の脳を駆使して外的世界を解釈、シュミレーションして、
生きているからです。
だから
外的世界をどのように相対化できるか、
自分の脳の能力を磨くか否かが、
人生の分かれ目になってきます。
生きることは体験、経験しては、その経験と自分が獲得した知識で
外的世界や自分及び他者を
●相対化して分析、シュミレーションしては
●考える、ということの繰り返しです。
そういう中から
●どう生きたらいいかを人間は掴んで行くのです。
では、
外的世界を相対化するには、どうしたらいいかですね。
それは自分の主観的世界と外的な客観的世界の
●両方を眼中に入れながら、
●考えるということができるようにならなければ
ダメなのです。
まずは自分の主観的世界は、本当にその通りかどうかの
自己検証をする。
※主観的世界の多くが、<思いこみ>に過ぎないのですが、
それに気づく人はほんの少数です。
それに気づいた人はこの世が幻想であるということを
理解できるのですね。
その自己検証を
●甘やかさず、自己防衛の感情を
●厳しく排除したうえで、
外的世界を分析していく。
※多くの人間は、本能的に自己防衛をし、その目線で
外的世界を主観的に見ています。
自分を
●甘やかさず、自己防衛の感情を厳しく排除したうえで
自分も相手も同時に見ている、ということができないために
例えば、シリーズ<その1>で書いたように、
相手から否定された時、
自分の主観的世界だけでいると、相手に潰されます。
しかし
・否定するということは、
●その人間が自分の限界を
●露呈していることでもありますから
(この事も自分の心を厳しく検証した人だけが知っています。)
・相手はなぜ否定しようとするのか、
・相手は何を否定したいのか、
・相手は否定することで、何を得ようとしているのかなどなど
・相手の言語の中に潜む<根源的な欲求や動機>を見つけ出していきます。
そういう風に
相手を丸裸にして見ると、
相手のことがよ~く見えて潰されるどころか
逆に相手の弱さや未熟さが見えてくるのです。
では客観的世界をどのように磨くのか、というと
それは自分の体験や経験や知識を駆使して
●自分を分析しつくすことです。
●理性を駆使して自分を分析すると同時に
相手から見える自分とはどうであるかを分析しつくすのです。
自分に起きる心理や感情を
●容赦なく他人の目で自分を分析しつくすのです。
・自分の行為の動機には何が作用しているか?
・自分の感情の根本にあるのは、何が作用しているか?
そして大事なのは
・自分の行為や感情は、理性で考えるとはたして●純粋であるかどうか?
・反対に自分の行為や感情は、自分のエゴの感情、支配欲や、所有欲や
自己顕示欲や物質欲や性欲や、自己承認欲が動機になっていないかどうか?
そういう風に、まず自分を
●容赦なく分析、解体してしまうのです。
そういう自分の解体という作業を厳しくやり、
そのうえで、他者や外的世界を類推していく。
その延長上にこそ、人間の本質がみえてきます。
つまり、主観に溺れず、自分を厳しく見つめ分析していく、
という
●賢い作業が必要なのですね。
その時、客観的な自分を阻むものが、自分の感情です。
これが厄介なのです。
自他の分離ができていない人は、
自分の感情を突き放すことすらできません。
※自他の分離をするには、自分の中の依存を捨てて、
自己防衛の甘えを厳しく排除しなければなりません。
感情のほとんどは本能と強くコネクトしていますから、
理性ではわかっていても、下から突き上げる衝動として、
自分の行為を支配してしまいます。
わたしを全否定した彼も、どうしても私を全否定したい欲求に、
駆られてしまったのでしょう。
それほど、感情というのは強くその人間を支配してしまいます。
※その根底にはコンプレックスと自己承認要求、そして
それらが裏返った自己顕示があります。
そして、
その動機が自分の弱さやエゴや自己承認要求などの
不純なものであれば、時間の経過ともに
自分の中で自己嫌悪が起きてきます。
その時、賢い人間はハッと気づくことができますが、
たいがいの人は自己嫌悪に耐えられず、
相手のことを嫌いになるとか、
相手を更に否定したくなる欲求に駆られます。
そういう風に自分を逃がしてしまうのです。
でもそれは、自分がドンドン愚かしくなっていく罠でもあり
それを乗り越えないとダメなんですよ。
ただね、そういう自分を乗り越えられない人はもう
どんどんドツボにハマっていきます、残念ですが。
※ただし、脳機能においてそういう自己省察が
まったくできない人もいます。
サイコパスと呼ばれる人達です。
その感情を捨てて自分を突き放し、
しっかりと理性の柱、
つまり
●自分の客観性を打ち立てていくには
厳しい意識的な自己省察が必要です。
そしてその時、自分の観念をも洗い直していきます。
●自分が囚われている既成観念は
ほんとうにそうかどうか?
※自分が囚われている既成観念が妥当か否かについては
妥当でない場合は必ず、トラブルや失敗や挫折という形で
それ表出してきます。
だからトラブルが起きたときや、失敗や挫折こそ、
自分が囚われている既成観念を検証するチャンスなのです。
まあ、頭が良くなるちゃんすとも
言えます。
それらができてくると、頭の働きが俄然よくなります。
常に自己世界(主観的世界)と他者、及び外的世界(客観的世界)の
バランスが取れてくるのです。
ただね、
ここまで来るには、
厳しい自分の感情との戦いを征して来ねばなりません。
自分の甘えや弱さとの戦いです。
次回は
自己世界(主観的世界)と他者、及び外的世界(客観的世界)の
バランスが取れてきた後に
何をしたらいいかを、将棋の羽生名人の言葉から
入りたいと思います。
皆様ありがとうございました。
今、4号に向けて準備中です。
どうぞご期待ください。