シリーズ ・優れた人間になろう、最終回、いきてみなけりゃわからない! |
ドンドン偏桃体や辺縁系の脳が優先され、
●感情が先行される生き方をしていまいます。
すなわち
●<動物的感情>のままで、生きてしまうということです。
※動物的感情とは、相手を否定したり、
威嚇したり、自己憐憫に陥ったり、
小狡く立ち回ろうとする、
●理性で磨かれていない感情です。
そうなると知らないうちないに
自分と同じように<動物的感情>で生きている人を周囲に集め、
そういう人間関係の中で生きてしまいます。
※人間は自分と同レベルの人間と
繋がって生きてしまいます。
感情が優先され、先行する人間関係は、
●<安心することができない>不毛な人間の世界です。
しっかりと
・自分を見つめ、
・理性と、理知を働かせて
・状況を把握する能力を
・磨かないと
感情が先行する生き方になってしまいます。
感情が先行する生き方とは、
・客観的な視点を欠く生き方です。
感情が先行し、客観性がトレーニングされていないと
自分が感情や、感傷に左右されてしまい、
感情の起伏によって
躁と鬱の間をエレベーターで上下したり、
すぐ傷ついたり、落ち込んだり、
また、
他人の言動に左右されて、疑心暗鬼に陥ったり、
という不安定な自分でしか生きれません。
せっかくの、
人間が人間たらんとして獲得した
理性がどんどん後退してしまうのです。
勿体ないね~!
結論的にいうと、
私は感情なんか捨ててしまえとも思っています。
極論ですがね・・・笑。
感情は、捨てるぐらいでちょうどいいです。
<動物的感情>は強烈ですから、
感情をすてる、というくらいでやっと
・素朴な感情だけが働くようになると、
思います。
素朴な感情とは、
●理性の管理の中で、客観性が働き、
自分も他者をも尊重し、一緒に生きるための
知恵の感情とでもいいましょうかね。
激しくなく、荒々しくない感情です。
もし、人間が<動物的感情>を捨てられたら、
戦争なんか、起きないかもしれません。
※トランプも金正恩も<動物的感情>人間そのままですからね。
そもそも、この<動物的感情>が
脳のゴミ情報を作り出していくのですから。
人間は自分が内蔵する過去のデーターを使いまわしながら、
未来(次の瞬間)を仮想し、シュミレーションして
生きています。
だからこそ、
自分の内蔵データーが、ほんとうにそうであるか、ないか、
それが思い込みであるか、ないかを
検証する必要があるのです。
しかし、それも、ですね、
その人間が現実に直面しなければ、なかなか検証できません。
つまり、
人間は生きながら、分かってくるのですね。
●生きて見ないと、分かるわけがないのです。
現実に直面して、そこに不都合がおきて、はじめて、
内蔵データーの誤りや、思い込みということが
明らかになるのです。
その時、つまりトラブルがおきたり、
失敗したり、挫折したりしたとき、
<動物的感情>や自己憐憫の感傷しか、働かない人が
滅んでいくのです。
つまり、
常日ごろから、自分の●主観ばかりで生きている人、
自分しか見えない、他者の心が分からない人、が
ダメになっていくのです。
そして残念ながら<理性>というものも、
常日ごろから、鍛錬し、磨いていないとダメなんですよ。
感情が先行し、優先する自分ばかりで生きてしまうと、
理性はどんどん後退していしまいます。
※脳は日ごろ使っている回路が強化され、
使わない回路は退化していきますからね。
私もずいぶん、どう生きたらいいかに苦しみ、もがきました。
しかし、或るとき、気づいたのです。
わたしの感情が私の人生を邪魔し、生きづらくしていると、です。
そして、それから、自分の中のゴミ(ネガティヴな感情や思い)を
ドンドン捨ててゆきました。
気づいたら捨てるということを、厳行していきました。
さらに失敗するたびに、自分の思いこみに気づいては
データー修正する。
※自分の思いこみに気づくためには、
失敗を相手のせいにせず、全部丸ごと自分の非であり
自分の責任であるという自覚が必要です。
1ミリでも相手のせいにしてしまうと、そこが
霞んでしまい、
そういう甘えの隙間にスルリと<動物的感情>が入ってしまうからです。
だから、といって、
私の中に<動物的感情>が無くなったという訳でもありません。
今も、それらが瞬間的に起きてきます。
今もうっかりしていると、そういう感情に乗っ取られそうになります。
しかし、その時、意識で、それらを排除します。
なぜなら、
私は、自分の人生が愛おしいからです。
せっかく生まれてきたんですからね。
そして
自分の人生を、完成させたいからです。
どのように完成させていくか。
いつも考えています。
そして少なくとも、
最終的には、
自分の心の中の●対立を全部取っ払い、
そこに、大きな地平が現れ、
自分も、他者をも、そこに包み込みたいと思っています。
※<動物的感情>いわゆる本能的な感情は
生存競争や自己保存の敵対的な
対立の構造の中で生まれる感情です。
しかし、それは
執着や所有の感情ではなく、
他人に同調せず、自分の孤独をひきうけ
できうることなら、
あなたも私も、
人間は、なんて懸命に生きているのだろう、
という、地平の景色で世界を眺めながら、
では、失礼します、と、
あっけらかんに、スタスタと
黄泉の国へと去ろうと思います。
その心に行きつくために、
今も、迷いやゴミを捨てながら、
小首をかしげては考え、
こうして、書きながら、生きているという訳です。
まだまだ、
生きて見なけりゃわからないことだらけの中を、
です。
ウエブマガジン【MIZUTAMA】より、
皆様ありがとうございました。
今、4号に向けて準備中です。
どうぞご期待ください。
次号も多分面白いとおもいますよ!
原稿があがってくるのを見ながら、私もゾクゾクしていますから・・・笑!