貴ノ花親方のインタヴューを見て。その2 |
これもう相撲に対する理念も志もが、
相撲協会他の理事の意識とは、
格段に違うレベルにあると
感じました。
だから、
これまで、なあなあで妥協し、
事が起きても、うやむやにすることが常態化してる、
八角さんをはじめとする相撲協会の理事の人にとって、
貴ノ花親方の行動は、
理解できなかったのではないでしょうかね~。
貴ノ花親方は、相撲は、伝統芸であり、
神事だといっておられ、
だから今でも、ちょん曲げを結うのだからと。
この言葉を聞いて私は嬉しかったです。
神事という高次な競技であるということが、
日本の相撲取りを目指す子供たちの、
希望や目標となります。
以前私は、相撲は興行だから、
演出が必要で、八百長などの少々のことは
目こぼししていいのじゃないかと
思っていましたが、
今回の事件を思い、
興行を優先しているからこそ、
モンゴル勢に依存してしまい、
白鵬らに、何も言えず、そして
集団リンチを許してしまっているということに、
私は、自分の見識の甘かったことを
深く反省しています。
貴ノ花親方に申し訳ないと思いました。
本来相撲は、
【農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を祈り、
神々の加護に感謝するための農耕儀礼であり、
これは一貫して現代にまで続いている】ウキペディアより。
であり、
そこには日本古来からの歴史があります。
ただ、そう思って相撲をみてみると、
もしかしたら、モンゴルはじめ、外国人の力士たちに
それを理解してもらうのは、なかなか難しいかもしれません。
2月7日に書いたブログ「海の人、山の人」のように
私達の中には営々と続いてきた日本という国の遺伝子を
無意識の中に持っています。
それは、日本という国と日本人の秩序や規範が
無意識の中に内蔵されており、
私たちは全く気づきもしませんが、
瞬間的にもとっさにも、
私たちをコントロールしています。
だから、横綱ともあろう者が
無抵抗の若者の、頭を叩き割るまでの暴力をしたことを
目の当たりにして、私の中には戸惑いがあります。
日本人の横綱も、同じようなことをしてしまうのか、
それともこれは個人の資質によるものなのか?
外国人の感覚や感情なのか?と、
です。
相撲は神事である、という貴ノ花親方の言葉は、
私がこの間考え始めていた、
日本人とはどのように生きのびてきた人間たちか、
古代から営々と
私達の遺伝子が書き換え継がれてきた
日本の風土の遺伝子とは何かに
繋がっているように思います。
そこには、日本の風土に適応しながら、
社会を形成していくなかでの、
山や海に対する畏怖や畏敬の念があり、
自分の中に起きる不安や恐れの神秘を
山の神や海の神に託して、
祈りを捧げてきた歴史が、
無意識領域の中に空気のようにベース化しているように
思うのです。
そのいぶし銀のような、
日本人の心、
自分を律する心とでもいうものを
もう一度洗いなおし、
興行優先ではない
相撲の在り方を模索せねばと
思いました。
そのためには、
貴乃花親方と、その志をどうする親方たちに
辛抱強く、粘り強く、相撲界の浄化と再構築を
お願いするともに、
応援せねばと、思います。
今回のこと、
自分の原点とは何かということを
再度考えされられました。
また、軽薄で短絡する社会の風潮の中での
一筋の清流をみたようでした。
貴乃花親方に感謝です。