川を渡る。 |
私の眼の前には滔々と流れる川があり、
しかし向こう岸は見えない。
その川を前に私が屹立している。
私は小さな小さな点であり、
しかし、それは集中しきった小さな点でもある。
その小さな集中した点の私の前に
豊かな水をうねらせながら、大きな川が流れている。
ゴトンと印刷機がうごき、
遠野の子供たちが描いてくれた<妖怪>の絵のシールが
出てくる。
ゆっくりと印刷されて出てくる
その一枚一枚を待ちながら、
私はじーっと見ている。
その一枚一枚は、
素朴で、面白くで、愉快で、奇妙で、楽しい。
素直で思いつくまゝに描いてくれた
その子供の魂が、
そのままそこにある。
私はじーっとそれを見ている。
しかし次の瞬間、
もしかしたら、
これらの、まるで魂そのものの絵が
凡庸な人間の手で、
人工加工されるかもしれない、と思った時に
怒りが来た。
この絵には、何も手をつけないでほしい。
これは私の悲鳴です。
凡庸な人間にはみえないかもしれない。
しかしここには、もう完璧な魂があり
いっさい手をつける必要のない、
透明で清らかな子供の魂がある。
しかし、それが見えない人間は、
汚れた社会の目や感覚で、
つまらない大人の意識で
いじくってしまうだろう。
いじくられて、扁平で、企画的にされてしまった
子供の魂を思い、怒りと涙が出てきた。
これらの魂を
箱詰めにしないでほしい。
ぼーっとテレビをみている。
なんだかしらないが、
金メダル、金メダルと叫んでいる。
なにが金メダルだ、
オリンピックなんて、
そんなの金と政治にまみれ薄汚れたインチキだろうが。
この国は、オリンピックを幻想化して、
神格化から、まだ目が覚めない。
遠くでドストエフスキーが笑っている。
貴方が私に手渡した、
「神の愛した民衆を愛してください。」という言葉を
私はいつもいつも反芻しながら
生きています。
そして私は、ずいぶん人間を愛して、
懸命に愛してきました。
でも、今
目の前の川を渡れない。
向こう岸が見えない。
でも、
この川を渡らないと、
でも、この川をわたったら、
すべてが、溶けるのですね。
きっと、
もろもろの谷は高くせられ
もろもろの山と丘は低くせられ
高低のある地は平らになり
険しいところは平地となる。
そんな見晴らしのいい、平野へとでられるのですね。
そこはマグノリの花も咲いているのだろうか。
多分咲いていると思う。
そして
向こう岸にきっと
私の愛した人々が
いるのだと
思う。