どこかで醒めていないとネ。 |
朝のニュースやワイドショーで、えらく騒いでいる。
私はどうもこの人があまり好きになれない。なぜだろう。
優勝後のコメントもなんだかイヤだナー。
自分は暗闇の中をがんばってきたので、
今暗闇にいる人も、夢を持ってがんばってほしいと・・・
なんか勘違いしているねー。
そもそも彼女のつまずきは、自分を特別化したところにある。
もちろん、彼女はオリンピックで優勝した特別な人である。
特別、強いアスリートである。
そうなるためには、特別な、大変な努力と苦労をしたであろう。
しかし、それも自分のためであり、こちらがお願いしたことではない。
だって、記録も賞金も全部彼女のものでしょう。
このところをちゃんとわきまえていないと変なことになる。
特別な人ではあるが、だからといって
特別な扱いを要求するのは間違っているヨ。
前回のオリンピックの選考にもれたのは、
間違いなく彼女がこのことを
履き違えたからである。
自分が特別な計らいを受けるのは当然だとして、
出場しなければならないレースに出なかった。
小出監督の小ざかしい駆け引きに乗っかっていたもんネッ。
あッ、今思いついた、そうだ、
彼女はすぐヒーロー感覚になるんだネッ。
これだァ。
すぐヒーローの位置からみんなを見ちゃうんだね。
つまり高い位置からネ
ヒーロー
この響きが好きな人
ヒーロー、ヒロインになりたがる人は多い。
これらの人に共通するのは、自分のことを
客観的の見る視点が欠けていること。
いつも視点を自分にばかりに向けているので
周りの人間の冷めた目がみえない。
表面の裏側にある人々の厳しい視線が見えないから、
やたらと、てっぺんに上りたがる、うかうかとね。
よく亡くなった父が
バカと煙は上へ昇りやがると言っていたが、
上へ上ったら下へ落ちる事を考えとかんとねー。
ヒーローになりたがるくせの或る人のもうひとつの問題性は
生育時における愛情の不足です。
父や母或いは家族の誰かからきちんと愛情をもらった人は
家族間或いは周囲の人間との愛情の交換で満たされるが
愛情をもらってない人間は、愛情をくれる相手が誰なのかわからない。
その結果、極めて抽象的な愛情の獲得の仕方、
つまり、不特定多数の人間、
実体のないにんげんの群れから愛情を得ようとする。
たとえば、芸能人のファンとか、政治家の選挙民とかである。
じぶんが社長をしている会社の社員とか。(家族を省みないで仕事ばかりしている社長)
醒めた人間ならきちんと見分けが付くはずなのだが
彼らは一生懸命その実体のない人々に答えるべく
人生を浪費していく。
自分の周りにいる人間がどれほど自分にとって大切なのか。
山ほどの愛情やお世辞はくれないが、
陰になり、日向になり傍にいる人から
みんな、ささやかな愛情を注いでもらいながら
私達はいきている。
そしてそれぞれが自分の能力を発揮して
助け合いながら。
そして全員がヒーローなのよ。
そのことの重大さに気づかない。
高橋尚子さんは優勝するために2年間大変な努力をしたと思う。
又、比類のない才能の持ち主かもしれない。
しかし恐ろしいことに、
この彼女を応援しているはずの大衆の不確かさに気づいているだろうか。
この実体のない人間の群れはあっという間に消えてしまう。
消えてしまえばまだいいが
何かが狂って逆転し始めた時
それは恐ろしい勢いでヒーロー達を食い尽くしに来る。
憧れは嫉妬の裏返しだからネ。
あれほど大衆に支持され賛美された田中角栄しかり、
野村サッチー
あれほど突き落とされなくても
小規模のバッシングは日常的にある。
高橋尚子さん
この世も人間もほんとうはみーんな対等なんですヨ。
たまたま貴女がマラソンに秀でた才能を持っていただけで
ただそれだけでどおって言うことはないんです。本当はネッ。
他の人は他の才能でそれぞれ生きているだけで、
それも目立たないけど
凄いことなんですヨ。
何も貴女から言われなくともみんな夢を持って生きています。
しかし、大衆の中のフラストレーションは時として、
秀でた才能のもとに、自分を写しこんで、頂点の興奮
擬似エクスタシーをむさぼるんです。そして
その興奮が醒めたあとにはなんとも
ひえ冷えとした残骸がのこされる。
できるなら、ご自分のためだけにお走りなさい。
自分の可能性を追求して走ってください。
他人に期待されるのから、自分を守らなきゃ。
オリンピックを見るたびに、楽しいし、驚くし、感動するけど
同時に思うのは人間のフラストレーションのガス抜きと。
お金儲けのお祭りと、どこかで醒めていなくては。
本当に他人からは期待されたくないもんだと
思います。
もう一度、どこかで醒めてみていないとね。