インナーチャイルドの笑い。 |
私が持っている播磨みどりさんの作品の
貸し出し承諾書を送りました。
播磨みどりさんはニューヨーク在住の
若い女性のアーティストです。
私が買った作品は笑っている赤ん坊の首で
コピー用紙で出来ているオブジェです。
一見、ぶきみです。
コピー用紙の乾いた質感と
それとはまったく逆の
赤ん坊の顔の生々しさが
笑っている赤ん坊の顔から
私の存在を脅かしました。
なんだか赤ん坊といえど
「お前達が弱いものと思って油断しているけど、
わたし(赤ん坊)のことを甘くみるでナイ!ケケケ・・・」
といった大人の偽善を暴かれたような作品でした。
さっそく買いました。
今年の4月から豊田美術館で展示されます。
興味のある方はどうぞ。
他にも、村上隆、奈良美智、小沢剛など
現代アーティストの作品も一緒です。
参考までに、茅場町にあるギャラリー人のホームページに
播磨さんの作品がありますので、ここです。
以前、1月10日のブログで良寛の写経の書を、
「本当に美しいもの」と書きましたが、
美しいものはこの世にごまんとあります。
たとえば美しい色、造詣、表情、
美しい花、美しい人、美しい風景等など・・。
しかし私が本当に美しいといっているのは
これら表面に出てきた美しさだけでなく
そのもの、もっと奥にある真実というか
或いは全体性というか、
それらが立体的に私に何かを突きつけてくる。
良寛があの字を書くには
良寛の苦悩に満ちた放浪や、
あがきや悔恨など様々な背景の下に
あの字というか、書があります。
たとえば
美しい花が咲くには
じっと暗い土の中で耐えていた種の時代、
寒いときも熱いときも葉っぱと茎だけでしのいで
そしてやっと一瞬の美しい花が咲く。
なんか旨くいえませんが
花の色とか形とかそんなことばかりが美しいのではなく、
花が誕生して枯れるまでのすべてを含んだ美しさとして、
私は美しさを感じます。
絵画を見てもその奥にある物語というか
或いはその作家の
立体的な世界が感じられるときが面白い。
多分、たいがいの人が
そのことを感じ取ることが出来るんじゃないかと
私は思いますが、それには
自分が感じたことを正直に受け入れなければなりません。
自分の直感を信じて。
とかく人間は自分の都合で美を感じようとしますが、
自分の人生だって
一瞬たりとも無駄のことがない。
たとえばこの一瞬は自分としては嫌いだから
或いはイヤだから、
その時間は生きていないほうが良かった
と思っても、
実はその瞬間がなければ次にいけませんから
その重なりの上に人生が築かれていくのですから、
そのいやな瞬間も大切なものなんですね。
そういう時間のなかで直感が磨かれていくとい私は思います。
播磨さんの赤ん坊は、私に
逃げないで、真実を見てくださいと、
突きつけてきます。
私はヨーシ、エイっと覚悟を決めて
その首を懐に入れました。
(勿論イメージでです。)
まさにあの不気味な笑いこそ
私のインナーチャイルドの笑いでした。