光の中に! |
秋からずーと巣くっている
私のインナーチャイルドのことを書きました。
それはそれで私にとっては大変意味のあることで、
インナーチャイルドが私に働きかける本当のことは、
私が見ないふりをしている、私の影の心です。
たとえば本当は愛情に飢えているとか、
自分に自信がないために、他人を嫉妬するとか、
いじめられた傷口がうずいて、
幸福そうな人間を見ると全否定したくなるとか・・・。
そこにかかずリあっていたら、
日常生活は行き詰まってしまうことばかりだ。
だから、ほとんどの人間が
そこに気づかないようにして生きている。
しかし恐ろしいのは、
それと気づかないで
インナーチャイルドにのっとられて
ネガティヴな行動を取ってしまうことである。
私の周りにも、
他人を全否定する人や、
他人の欠点ばかりに目が行く人
逆に自分の事しか話せないひと、
策を弄して他人の足を引っ張る人など、
ごまんといる。
それはインナーチャイルドの叫びだと
理解できていればまだましなのであるが、
ほとんどの人がそういう自分をもてあましながらも
どうしてよいかわからず、
流されて、生きている。
言い換えると
それらの人々は苦しんでいるが、
そういう自分を理性で立て直して
行かない限り、
その行く先はますますの孤立しかない。
しかし一番ひどいのは、
自分の中にはそんなネガティヴなものなんかない、
自分は善人だとおもいこんでいる人々です。
これらの人々は本当に重症です。。
逆に自己嫌悪や、
悔恨にさいなまれて苦しんでいる人のほうが
まだ救いがある。
自分が善人であると思い込んでいる人に
今までたくさんであったけれど
自分の内面を相対的に見れないが故に
ほとんど本質的な話が出来ませんでした。
昨日自分のチャイルドのことを
言葉に出したおかげで、
すこし心が緩んできました。そして、
今日の明け方
最近のニュースで、
諏訪湖で遺体で見つかった少年の
お母さんのことが思い浮かびました。
その辛さを思うとあまりにも痛々しく、
こういう苦しみを背負っても尚
生きていかなければならない事に
ただただ頭をたれるばかりです。
自分はまだまだ甘いと反省しました。
人間は自分の中の傷を
人にさらしたくないのが人情ですが、
逆に、
その傷や自分の中のネガティヴな心をさらけ出すことを
「光の中に出す」といいます。
いうなれば
神の、或いは大いなるもののみ前に
さらけだす、とでも言いましょうか
自分で抱え込んで押し殺すのではなく、
自分の弱さや醜さこそ
表に出して、言葉に出して、
光に当てるのです。
どうしてインナーチャイルドが発生するかというと
それはその人が深く深く傷ついているからです。
その人のセイではありません。
インナーチャイルドは
その人が子供の頃に
味わった辛いことが下地になっています。
わがままを言いたい心
自分に注意を向けてもらえなかった心
ほしいものを我慢させられた心
よその子ばっかり大事にされて悔しかった心などなど・・・。
たくさんの子供時代の傷なんです。
だからそんな自分を嫌わないで、
ちゃんと認めてあげなくてはなりません。
まずそこのケアをして始めて
他者に対する心の余裕が出来るのです。
いっときますが、
ポーズとして他人に優しいのではなく、
心から優しい
ホンモノです。
インナーチャイルドにのっとられたおかげで
このところ私はそういったポーズが出来ませんでした。
多分これからも、本当のことしか出来ないと思います。
時々とても辛くなりますが、
でもそれを越えてゆかないと・・・。
依然書いたように言葉は
い・き・も・の・です。
もういちど言います。
「光のなかにだす」
良いところも
悪いところも
優しいところも
醜いところも
ぜーんぶ含めて
わたしという人間です。