おいしいものを食べて幸せにナロー! |
今日も弟が教えてくれた日本橋の蕎麦屋に行きました。
結論から言うと、
わざわざ行ったけど、
わざわざ行くほどではなかった・・・!!
着いたとき行列が並んでいたので、期待したが・・・。
ローカルかもしれないが、飯能の橡庵の方がおいしいナ!
うどんなら所沢松郷の甚五郎のうどん!
甚五郎のおつゆはのど越しの時、透明感がある。
というと又、ワケわかんないと言われそうだが、
露ののど越しがなんというか、何にももたつかずに、
すっと通ってゆくおいしさがあります。
きょうあるブログを読んでいたら「幸せになるには云々」とありました。
そのときふと、「幸せって」形があるのだろうか?
どうなることが幸せって言うのだろうか?という
大いなる疑問がわきました。
私はおいしいものを食べて感動したとき幸せです。
心の中になーんも不安がないとき幸せです。
それから友達や、そのときであった人と話が弾み、
そこから何らかの可能性が見えたときはとても幸せです。
何かの刺激によって自分のこころが高揚したとき幸せです。
幸せというのは何かの形ではなく、多分
自分が生きるエネルギーを感じたとき
自分が生きている実感を感じたとき
その瞬間瞬間に体中の細胞が
生命ホルモンで満たされているときではないかと思います。
以前生命科学で人間には残虐の遺伝子があると書きましたが、
それと同様に生命は常に前へと進む遺伝子を持っていると思います。
生命細胞は常に新しく生まれ変わろうとする遺伝子を持っているのでは・・・!
私ほ極端な右脳人間で、数字や計算がほとんどできません。
ですからお金の計算、人間関係の計算などまったくできず、
それらのことになると、心が縮んでしまい、
死にたくなることがあります。
幼いときにこの事でものすごいトラウマがあるのだと思いますが・・・。
それから今はほんの少しになりましたが、
朝起きたときなんともいえない不安感に襲われます。
きっと何か傷があるのでしょうね。
でもきっと人間は誰でも大なり小なりの傷を背負って生きていると思います。
自分だけじゃなく他の人も、幸せと不幸とがシーソーのように
ギッコン、バッタン
多分そうして何とか生き延びているのかなーと
思っておりヤス。だから、
気がめいったら、
おいしいもの食べて、
ほしいものを買って、
しあわせにナローッ!!!、ス。