生き尽くして! |
色とりどりの花で飾られた、
とてもステキな式でした。
あるのは花に囲まれたKさんの祭壇だけ。
お坊さんもお経もなく、
Kさんの親戚、友人そして会社の友達などが、
かわるがわる彼を忍んでスピーチをしました。
みんな自分の言葉で、在りし日の彼を語ってくれました。
ステキでしたね!
そして色々語られるKさんの横顔、
それはKさんの息子S君にとって、
初めて知る父親の家庭の外の姿でもありました。
アアお父さんは会社で、こんな苦労をしていたのか、
お父さんは、こういう風に物事を考えていたのか、
そして若き日のお父さんの姿は、
こんなにたくましかったのかと、
新鮮な驚きや、感慨があったと思います。
久しぶりに告別式で再開した友人とともに、
S君の成長ぶりにびっくりしました。
夫を失った母の傍らにしっかりと立つS君。
小学校の頃の繊細で、
やっぱりお父さんと同様に寡黙であったS君。
しかし今日は、
彼の優しさがしっかりお母さんを包み込んで、
まなざしの奥に人間的な成長の確かさえを覗かせていました。
あのアトピーで苦しんでいたS君ではなく、
家族三人で苦労を共にして、
彼が自分の足で、
一歩一歩生きてきたその足取りを、
今日はかれの面構えに感じることが出来ました。
最後に私はKさんの訃報を聞いた時、
どういうわけか中原中也の詩が頭にふっと浮かびました。
「別離」という詩の一節です。
さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る
さよなら、さよなら
さとなら、さよなら
この詩は恋人に去られた中也のあきらめきれない
悲しみに満ちた詩なのですが、
でも、
でも私は視点を180度かえて見てみました。
立ち去っていく恋人は、盛んにパラソルを振っている。
さよなら、さよなら・・・・と
もしかしたら恋人にとってこの別離は、
古い関係から新しいところへ旅立とうとしているのかもしれない
と思いました。
なぜこの詩がKさんの訃報を聞いて、
私の頭に浮かんだのか・・・!
それは旅立ったKさんは、
もう生き尽くして死んだんじゃないかと
私が直感したのかもしれません。
62歳と言うマダマダ若いKさんでしたが、
命の長さ、短さではなく、
たぶん命のエネルギーを全部使い果たして、
天国へさっと登っていった。
そんな風に感じました。
突然の死で残されたものは
戸惑い悲しいけれど、
Kさんの人生は
見事なまでにあっさりと、
幕が下ろされました。
生きると言うことは、
生き尽くして死ぬと言うことでもあるかなー、
と、
思わされた今日一日でした。
Kさんのご冥福をお祈りします。