禁止令の正体・・・。 |
最近、又一つ強力に自分を縛り上げている禁止令に気づきました。
それは私が社会の中で成功してはいけない、成功すると
自分が危うくなるという
自分を守るための禁止令です。
これはわたしが自分の人生の中で
度々くり返す葛藤の要因となっていました。。
この禁止令が私の深層心理の中で私を操っていました。
こうなったらさっさとそこを
解決したいと思っています。
人間はその生育過程で
親からの無言のウラメッセージを受け取ってしまいます。
それはその親自身の葛藤でもあり
親は知らず知らず、
自分の子供に
自分の苦しみをバトンしてしまうのです。
多くは親が自分の親によってきずつけられた、
心の傷だったり、
抑圧された欲望だったりします。
自分では解き明かせない
自分のマイナス行動或いは
不安や怒りなどの根っこには
思いがけない親からの、
否定的メッセージが潜んでいることがあります。
以下はわたしの問題性ですので
良かったら参考に読んでください。
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自分のなかの成功禁止令をもっと解析していくと、
やっぱりそこに父親と母親の影が見えてきた。
父親はわたしを存在ごとその支配下に置き
監視した。
母親は脅迫神経的に心配しわたしを心理的に
支配した。
父親は自分の管理化でわたしが天才ピアニストになるよう、
英才教育をわたしに強制し、
わたしの時間を管理し
又自分の感情的な支配から私がはみ出したときは
物凄い怒りと折檻が私に下された。
だから私は自分が一生懸命努力するとともに
それはいつも父親の掌の中の成功で、
自分のための成功ではなかったため、
常にそこから一刻も早く逃れたいという欲求で、
いっぱいだったと思う。
このことはわたしが成功するために、
自分のブレーキをはずし
奔放な自己パワーを解放しては、
いけないという、
禁止令がかかっている。
また、
成功することは
さらに自分の毛細血管まで
父親に支配されそうで、
たとえ成功しても
それは父親が喜ぶだけで
わたしのものではない・・。
母親は常に夫の関心が娘に行くことに対する、
嫉妬があり、
娘が自立できないように、
表面上は心配をするフリをして、
わたしに不安を与え、
わたしが自立的に行動することに、
ブレーキをかけ、自分の掌中の囲い込んだ。
わたしはもし成功したら
母親の潜在的嫉妬攻撃受けるために
常にこの母親の援助を必要とするフリをして
過保護の中で
自分の経験、体験を逃し
自立できない娘にされてしまった。
常に生きるパワーを奪われ続けてきた私には
人間は怖いという意識が心のどこかに巣くい、
自力で生きることに自信がなく
自分が成功すると
よってたかって
叩かれるという
恐怖が潜在的にある。
一方では物凄い努力をするのに
一方では自分の足を縛るというダブルバインドのなかに
わたしは生きてきたと思う。
わたしの中にどうしても
自分を検閲し、
自分の自信を揺るがす漣が起きてくるのは
こういうことに原因がある。
さあー成功禁止令を解いて
成功するために
バンバンエネルギー解放だ!
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普通の人はなかなかここまでは解析できません。
しかし
自分のなかの影というか
歓迎されざる心は
ほとんどその人の責任ではアリマセン。
その人に植えつけられた親の心の傷に
起因しています。
どうしても自分の心が苦しいときの対処として、
次のことをお勧めします。
・決して自分を責めないこと。
・自分のネガティブな心を受け容いれてあげること
・逆に子供の頃の自分は苦しかったんだとナーと
自分をねぎらうことです。
そして、自分の中の不必要な感情や思いを
強く「意識」して変えていくことです。
今日は私自身の禁止令を書きましたが
この禁止令の反面
わたしは父のおかげで
音楽や文学、芸術の造詣を深めることができました。
又その読解力をつけたおかげで
難解な心理学の本や思想、哲学の本を読み
自分の人生を検証することができました。
又母からは
ピアノの手ほどきを受けるとともに、
常に洒落た洋服を作ってもらい
刺繍やアップリケが施されたかばんや袋を
持って歩くことが自慢でした。
割烹料理店の血筋からは、
繊細な料理や味付けの妙を、
教わりました。
その人の心傷は
そのひとを苦しめもしますが
反面その人の、
個性や才能を育てることにもなります。
いずれにしても、
善きコトと悪しきことは
両刃の刃で、
自分がそのことをどう受け容れ、
生かしてゆくかによって
生きもし、死にもします。
最後に
人間が自分以外の人間に、
愛情を降り注ぐというのは
たとえ親でも
幻想です。
逆に子供が必死で親を支えている場合も
少なくありません。
人間はほとんどの人が、
自分が生きるので精一杯で
ほんとうにささやかな愛情しか
あげられないのです。
でも
そのささやかな
そっとさしだされた
愛情で、
わたし達はいやされ、
明日を生きる元気を
もらいます。
ちょっと言葉を交わすだけで
ちょっと親切にされるだけの
少しだけのぬくもりの交流の中で
あなたもわたしもがんばって生きていることを
肝に銘じていきましょう。
では、またね。