明日は明日から始まる・・・! |
脳がモウ壊れているせいか
平気でウソをつく。
今日も訪問に来たケアマネージャーに
以前は良く散歩に行きました。と
済ました顔でウソをいいました。
彼女の実態は、
極端に外出を嫌い、
一日中家に閉じこもっていて、
散歩なんかしたことは、
めったにアリマセン。
物凄い強迫神経症で
取り越し苦労と心配は、
彼女の生きがいになっている。
父が死んで彼女を引き取ってモウ6年になるが、
この強迫神経症の母親に育てられた私が
鬱になったり、
極度の心配に取り付かれてりするはずだダワー!
心配事のタネを捜してきては
それを育てて
私を脅します。
みんなを自分の心配事の中に
巻き込もうともくろみます。
もしわたしたちが
ウカウカとその心配事に載ってしまったら
それこそ彼女の思う壺、
どんどん不安の中に連れ込まれます。
このバアさんと暮らしてみて、
どうして自分が鬱になったり
神経的な心配性に取りつかれたりするのか
おかげでよーく解りました。
こういう強迫観念は私のところで
断ち切らねば・・・と
きっと私の子供たちの中にも
私が知らず知らず種をまいているはずですから・・・。
「脳はなにかと言い訳する」という本が
書店で売っていますが、
脳は自分の言葉や話を合理化する、
つまり自分の行為を根拠づけする
天才です。
脳が壊れて自己コントロールできなくなった
バアちゃんは
臆面もなくウソをついて
自分の話の言い訳をします。
聞いてる私や家族は
本当にびっくりします。
彼女こそ若いときはストイックで、
自分に厳しく
それこそピューリタン的な自省のひとでしたから、
嘘をつくなんて・・・・。
でも、
おもしろいね・・・。
人間、本来は
自分を守るために嘘をつくのかもしれません。
私たちの共同幻想が
正直とか
誠実とかの幻想を生み出していて、
本当はたくさん嘘をついていても、
自分は嘘をつかないと
思い込んでいるのかも
知れません。
今、脳に関する本を
読み漁っています。
一昨日から
ノーベル賞を受賞した脳科学者の
ジェラルド・M・エーデルマンの本
「脳は空より広いか」
SBT・「私」という現象を考える。を
読み始めした。
「私」という現象・・という言葉は
あの宮沢賢治のことばでもあります。
その中で
「意識とはかたちのある物ではなく、
流れていく過程である。」と書いてありました。
つまり
私たちは一瞬一瞬が
現象であり
意識はその流れのなかに浮かぶ、
在る認識されたものの塊り、、、とでもいうのかなあー!
この「塊り」ということが、
実は大きな意味を持っているのですが、
それは各自が本を読んでもらうとして、
鴨長明の「方丈記」冒頭
「ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
なんと日本人は鎌倉時代にもう,
こういう
「こころ」という現象に対する認識を、
持っていたのですねえ。
スゴイ!
私とは永遠なるものと
思い込んでいましたが、
実はそうではなく、
消えては浮かび、
浮かんでは消える、
私の脳が作り出す「思い」であることが
よーく解りました。
だからこそ今の「私」に執着せず、
今から明日へと未来に自分をつないでこそ
いよいよ私が面白く
予定調和なき人生の醍醐味が、
待っていると思います。
何を心配することなかれ、
明日は明日から始まる。。。と