美しいということについて・・・・! |
より具体的にお話したいので
美しい絵・・というこたから
入ります。
美しい絵というのは
美しい色や形や明るさやすがすがしさ
風景や題材が美しく描かれている・・・というのでは
ありません。
しかし
一般的には
そういうものを美しいと思っている人のほうが
圧倒的に多いです。
先日もあるギャラリーに行きましたら
二人の作家の作品が展示してありました。
一人は鉛筆デッサンで
たしかざくろの実がひとつ
ぽつんとかかれてありました。そのほか
ハンマーや山のぼりに使ステッキ?などだったと思います。
もう一人は水彩で花や
草花が咲き乱れている庭の風景がかかれてありました。
私は見た瞬簡にざくろのデッサンがいいなーと思いました。
絵の中の集中があり吸い込まれるような静けさの
たたずまいがありました。
描いた作家の内面奥にある
大切な実としてざくろがあるように
思いました。
ざくろは
瑞々しくは無いけれど
作家がきちんとモノ考えようとしている・・生きる姿勢みたいなものに
共感しました。
デッサンからズーッと見ていき
次の水彩に目が移ったとたん
ゲッ・・ナニ、これは・・と
・・・・・・軽薄で・・・・。
きれいに仕上げているけど
花にしろ風景にしろ
本当のことが
ひとつも
かかれてありませんでした。
きれい・・というのはこういうことだ
と思い込んで描いている絵で
花ひとつにしてもそこには表情が在り
色の奥行きや
時間の推移や
自然の風雨の中で生きてきた
花自身の内面の物語があります。
そういうことは何一つうかがい知れず
いわゆる
キレーな画面でした・・・のに
なんと
赤ポッチがついている・・。
何枚かに。。。。
デッサンのほうは
皆無・・・で。
美しいということは
その奥にたくさんの
物語があり
たくさんの試練があり
そういうことを経てきたなかで
磨かれ削ぎ落とされ
そしてたち現れてくる精神性をもったものが
”美”だとわたしは思います。
だから何百年も長い伝統の中で磨かれてきたものには
かなわないなー・・と思うのです。
そこにはたくさんの人間が
営々と注ぎ込んできた魂があって
美しい・・です。
しかし
一人の人間が描く絵の中にも
その美しさは在ります。
それは人間の中で格闘され揉まれあえぎ苦しんで
魂が注がれたもの・・。
また
じーっと温められ大切に大切に守られてきたもの。
そんなものが絵の中のモチーフに
投影されて
絵が深くなり言葉にはならない
共感がぐいぐい私達の心に喰い込んできます。
美しいということは
厳しさでもある・・と
私は思います。
しかし
いますぐそうであれ・・とは
思っていませんよ・・。
そういう何かを模索しているか
いないか・・・それも絵の中に現れてきますから
その格闘を見ても私は
共感します。
極められたところへ行く事は
時間も労力もかかり
大変な事です。
しかし
そこへ行こうとしているか、
適当なとこで
手を打っているか。。。は
残念ながら絵の中に全部
あらわれてしまします。
清らかなものも
醜いものもすべて
網羅する・・・・その道を経て
中からほんとうに美しい・・ことが輝きだすのだと
思います。
その事は絵だけでなく
人間の生きることすべてに通じる
美しさ・・だと
わたしは思っています。